初詣ウォーク「4社巡り」に行ってきました
明けましておめでとうございます。
今日は天気もよく、毎年恒例の小松ウォーキング協会の初詣ウォーク「小松市内4社巡り12km」に行ってきました。
朝10時、小松駅前出発。1社目 兎橋神社です。ここは5月の「お旅まつり」で神事を行う神社です。
2社目、安宅 住吉神社です。天気がよく大変な人出です。住吉神社造営のいわれは昨年のブログで紹介してあります。
明けましておめでとうございます。
今日は天気もよく、毎年恒例の小松ウォーキング協会の初詣ウォーク「小松市内4社巡り12km」に行ってきました。
朝10時、小松駅前出発。1社目 兎橋神社です。ここは5月の「お旅まつり」で神事を行う神社です。
2社目、安宅 住吉神社です。天気がよく大変な人出です。住吉神社造営のいわれは昨年のブログで紹介してあります。
毎年暮れに、その年の振り返りと次の年の目標を立てているのだが、昨年は所用でできなかった。
今年は、正月3日に実施することになった。
-目標をどう考えるか-
先日「養老孟司×隈研吾の対談」を読んだ時、こんなことを言っていた。
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隈:サラリーマンが迎える定年というのは、死へのステップの1つ手前、みたいな感じはありますね。
養老:以前に会った福島県庁の人は、県庁を定年になって辞めた後、10年以内に半分が死ぬと言っていた。それも分かるよね、何となく。生きがい、張り合いがなくなって。
隈:おやじは85歳まで生きたし、母方の祖父母は90歳、100歳まで生きました。だから、僕は彼らと並走した感じはありましたね。
その母方の祖父は、東京の大井町で90歳過ぎまで開業していて、週末は畑仕事をしていた。彼は90歳を過ぎても患者を診ていて、患者は怖くないのかな、と僕は思っていました(笑)。まあ、ほとんど会話はないんだけど、それでも患者とスムーズに関係を築いている祖父を見て、こういう年の取り方は、なかなかいけているじゃないか、と思いました。それに比べて、サラリーマンのおやじの方は、やっぱりストレスフルなわけですよ。
そういう観察から、90歳すぎまで開業している「自営業モデル」の方が、僕もいいなと思ったわけですね。
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福島県庁でなくても、同じ役所、企業に定年まで務めた人は定年で一度死ぬ。その状態から脱皮して自由業モデルに移行すると長生きする。
自営業モデルとは、地域社会との良好な関係を築く、環境に適応する、自分の技能・知識・才覚次第ということでしょうか。
実際に自由業をやっていなくても「社会とのつながり」「生産的」であれば同じかも知れません。
私は計画があったわけではありませんが、定年後経済的理由から偶然にも自由業に転進した。
しかし、これとて同じことをやっていても何れ行き詰まる。
行き詰まった時がその活動の死である。絶えず新しいことに挑戦すること。
生きとし生けるもの、いつかは死ぬ。しかし、新しいことへの挑戦がある限り死にはしない。
仮に体力の限界が来て死んだとしても、それは世で言う“ピンコロ”。
最高の“幸せ”である。
今年は、元旦の小松ウォーキング協会の初詣ウォーキングから始まった。
小松駅から多太神社、日吉神社、安宅住吉神社、兎橋神社をひと回り12kmのコースである。途中の木曽町公民館で豚汁が出る。
初詣とは、神様に今まで生かされてきたことへの感謝と、これから一年の五穀豊穣と願うものらしい。しかし、五穀豊穣は、現在では、自身や家族、縁のある人々の厄除け並びに無事息災、心願成就をいち早く願うものに変わっている。
私は今年2月で73歳になる。4社を廻って手を合わせてこれまで生かされてきたことの感謝と、厳かな気分を味わってきたが、格段願いごとは浮かばなかった。
神頼みより、自分のことは自分でやれ!という気持ちが心の奥底にあったからかも知れない。
4神社の中で、一番の人出が多いのは安宅住吉神社、その次が日吉神社である。
安宅住吉神社は、神社までの長い石段、燈籠、たいまつがあり、厳かな雰囲気があるということが良い。
日吉神社が町中にあり便利なことと、お飾りが良い事だろう。
初詣をしたが、そのいわれも知らずお参りするのは失礼と思い帰って調べて見ると、意外なことに気がついた。
日吉神社
比叡山麓の日吉大社(滋賀県大津市)より生じた山王信仰の神社である。
比叡山を建立した最澄にとって比叡山の「山王」とは、山岳信仰に基づく、アニミズム的な形態に近い信仰対象であった。
「山王」とは山の地主神を仏教的に表現したものであるといわれる。
そういえば、写真をよく見ると、この神社はお寺のイメージとダブっている。
7月20日(金)から23日(月)まで、東京出張でした。21日は日本品質管理学会のシンポジュームに参加、23日はエコアクション21ADグリーン化プログラム合同ガイダンスに出席しました。
22日(日)は休日、どうして時間をつぶそうかと考えていたが、以前劇団四季のCATSを観た時は感動したので、今度も劇団四季のミュージカルを観ようと前売券を買って出かけた。
四季ミュージカルの一番人気は「ライオンキング」ということだったので、浜松町の四季劇場「春」に行った。会場は子ども連れの観客で一杯、私は最年長の観客だったかも知れない。
「ライオンキング」は感激するような所はないが歌と踊りがよい。久しぶりに童心に帰って楽しめた。
しかし、後で考えると向側の四季劇場「秋」で上演中の「アイーダ」の方がよかったのではないか少し心残りです。
7月12日、京都清水寺近くのホテルりょうぜんで、小松工業専門学校第1期、第2期合同の同窓会が開催され参加しました。
小松工業門学校とは、小松製作所が昭和35年、設計技術者の養成を目的として全国の工場より入社後1年以上業務を経験した高卒の社員を試験選抜して、小松市粟津駅の近くに開校した学校である。期間は2年間全寮制で講師の殆どは金沢大学の工学部の教授であった。現在、この学校は小松短期大学の中に生産システムステージとして編入されている。
第1期25名、第2期40名で、私は第2期生として、昭和36年、37年の2年間をこの学校で過ごした。
全国から集まった仲間には色々な特技や趣味を持った者がいる。会社から給料をもらって勉強をしているので勉学が第1であることは当然であるが、私の場合は、貧しい農家の三男坊で、これといった特技もない初心な青年であったが、この2年間の間に登山、スキー、マージャン、社交ダンス、文学のまねごとなど色々なことを教えてもらった。
2年間終日顔を合わせ同じ釜の飯を食った、ということは特別な関係である。
卒業後、会社に勤めている間は、お互いの立場の違いや仕事の忙しさから一同に会することはなかったが、定年を過ぎると、もう地位や名誉とは何の関係もない。昔のように好きなことを言い合える関係に戻った。
この同窓会は、関東、北陸、関西の3つのブロックに分かれ、幹事持ち回りで4年ごとに開催している。今回は関西の担当で3回目の同窓会である。1期、2期65名中、生存者は56名、出席者は29名、各人の健康や都合を考慮すると高い出席率である。
これは、体験の共有とお互いの気心が分かっている、ということからくるものだろう。
今日は70歳の誕生日です。
といっても別に変ったことはない。久ぶり晴れ間で、長靴を履いて梯川沿いを散歩してきた。積雪は10cm程度です。八号線バイパスの架橋の下に雪がなく砂地があるのを見つけ、そこで太極拳を練習して帰った。
帰ると娘からお祝いが届いていた。どうもありがとう。
子供のころは70歳というと、大変なおじいちゃんに見えたが、自分がその年になると、そんな気がしない。
70歳まで現役宣言をしてきて、今日はその日を迎えた。仕事を辞めて好きなことをやったらよいようなものだが、今まで好きほうだい・無計画にやってきたので、好きなことをやろうとすると軍資金が足りない。
幸い仕事の依頼もあるので、無理をしない程度に仕事を続けようと思っています。
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