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2024年1月19日 (金)

伊豆大島の旅

1月13日は、東京でウエールズ通信制大学院の新春OB交流会に参加した。一緒に勉強したのは、もう25年前のことでありお互いにシニア・グランドジェネレーションになっている。殆どの方は、まだ現役で頑張っておられ、元気をもらいました。
翌日は伊豆大島へ一人旅。久しぶりに温暖な気候と晴天の下、大島の自然を満喫しました。
 
14日は、朝7時半に浜松町のホテル三交インを出て竹芝桟橋に向かう。竹芝から東海汽船の大島行きジェット船にのる。日曜日なのに船の中は空いている。この季節に大島に行く人は少ないのかも知れない。

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大島までの船旅約2時間、岡田港に11時40分に到着した。駅前で大島バスの2日間切符を買って、そのまま三原山行きのバスに乗った。三原山行きバスには観光案内にアナウンスがついている。大島は約4万年前の火山に爆発によってできた。火山の噴火によって噴出された溶岩が堆積し大島が生まれた。三原山は度々噴出している。「三原」という名の由来は、出産のように絶えず岩や土石流を噴出するということからきている。最近では1950年から51年にかけて噴火したとのことです。

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バス終点の三原山山頂口についたのが1130分。ここは標高556m、ここから三原山山頂758mまで歩いて登る。天気は良く大きな木がないので視界が広く歩いていても気持ちがよい。道の途中に噴火した時に隠れる鉄筋コンクリート製の退避豪は何か所か設置されている。

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内輪山の三原神社のある地点まで登ると山の反対側に富士山がくっきりと見える。晴れているが遮るものがないので風が強い。キルティングコートの上に風よけのヤッケを着込んで歩く。

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三原神社に参拝した後、火口展望台まで登る。ここは標高705m、眼下に火口口が見える。地表から湯気が登っている。

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お鉢巡りコースを通って三原山山頂まで登る。バスの時間の関係でここから引き返して、三原山山頂口まで降りる。所用時間約2時間のトレッキングでした。 

 

ここからバスで元町港に出て、元町港から都立大島公園に向かう。元町港から大島公園行きのバスの乗客は私一人だけ、大島公園についたのは1420分である。大島公園には椿資料館、椿園、植物園、動物パークがあるが、出会ったのは管理する職員と観光客は3人だけ、広々とした公園を独り占めにしているような感じである。

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椿園に入ると、椿の園芸品種3200本、自生種のヤブツバキは5000本植えてある。1月~3月が見ごろとのことであるが、椿の花は桜のように目立たない、ひっそり咲いているという感じである。写真は園芸種の八重姫です。

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大島公園散策の後、元町港に帰ってホテル白岩で宿泊した。温泉に入って汗を流してから夕食である。ホテルの建物は洋風であるが、経営は家族で行っているようである。夕食には一般的な料理の他に串に刺した素材を1本ずつその場で揚げて食べる天ぷら、朝食では自家製の豆腐がでた。素朴な感じでおしかった。

 

15日は、ホテルを8時に出て、元町港から波浮行きのバスに乗る。昨日と違って、このバスには、背中にリュックを担いだ一人旅、あるいは2人づれの旅行客が10組ほど乗り込んできた。

途中、地層切断面の前を通るとき、バスが徐行して地層切断面を見せてくれる。地層切断面は、火山活動による火山灰やスコリアの堆積、地殻変動による断層の形成、地球の気候変動による堆積などによってできた。高さ約24メートル、長さ約630メートルにわたる大規模なもので、昭和28年の大島一周道路の建設工事中に偶然発見されたものです。

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波浮港見晴らし台で下車。ここから波浮港が一望できる。三原山とは、また違った美しさである。ここから歩いて、幕末時代の鉄砲場遺跡、龍王崎灯台を見て波浮港に入る。

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波浮港は、明治初期に遠洋漁業の中継港として生まれた町で、町にはその頃の趣きのある通りや建物が多く残っている。この街並みの後に丘の上は登る階段が続き、丘の上には船主の豪邸が並んでいる。

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街並みから横丁に入ったところに、旧港屋旅館があり港屋旅館の中に「踊子の里資料館」がある。

港屋旅館には。与謝野鉄幹、林芙美子、川端康成など多くの文豪たちが訪れ、創作活動を行った。

資料館には、執筆風景や宴会の人形が飾られている。2階の宴会場では、ボタンを押すと笛や三味線の音が流れ、踊り子の人形が動き出すようになっている。

ここに来てみて、波浮の港は、美しい景観と静かさ、そして入り組んだ入江の海賊のねぐらのような場所にいる心の落着きが文豪たちに好かれたのではないかと感じました。

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波浮港を散策した後、11時30分発のバスで元町港へ向かう。途中で火山博物館前に下車、映像や火山シュミレータを見ようと思っていたが月曜日は休館でした。

仕方がないので元町港まで、ぶらぶら歩くことにした。大島は、どこへ行っても椿がある。街の街路樹も椿である。大島椿株式会社大島椿精油所の前を通った。この中で椿油を絞ってマルチオイルやヘヤケア製品を作っている所を見せてもらった。

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元町港の近くまで来ると浜辺へ出る道がある。弘法浜で町民の憩いの場になっている。写真で浜辺の向こうに山のように見えるのは、利島と新島です。

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弘法浜のあとは、元町港のレストランでコーヒータイム。岡田港からジェット船で浜松町の三交インホテルに帰った。大島旅行の服装一式は宅急便で自宅に送る。

 

翌日はスーツに着かえてISO認証機関の新春セミナーに参加してから、16日晩に帰宅した。

充実した4日間を過ごすことができました。感謝!

 

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