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2019年5月27日 (月)

大連アカシアウォーキング その5

旅順観光

5月26日
この日は、オプショナルツアーで、参加者の中の希望者が6人程度のグループに分かれ9人乗りワンボックスカーで旅順に出かけた。
大連から旅順までは約1時間。

大連市内。大連市の人口は、現在690万人になったそうだ。
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最初に行ったのは、東鶏冠山
ここは日ロ戦争当時ロシアの司令部がおかれた要塞である。
日曜日とあって、中国の観光客も多い。
質問すると
中国では愛国教育が行われ、教科書に、中国の資源を略奪するため、ここでロシアと日本が戦った、ということが載っているとのことでした。
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山の頂上付近にはアリの巣のように地下豪が掘られて石やコンクリートで固められている、
この要塞をつくるのに、中国の農民が雇われ、出来上がった時には機密保持のため全員殺されたとのことである。
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203高地
日本軍は、旅順港に停泊中のバルチック艦隊を撃沈させたいが、海からは入れないので、山から砲撃するため203高地を攻めた。
203高地というのは標高が203mあるということからきている。
守る側のロシアは頂上から下に向けて大砲と機関銃で攻撃する。
日本軍は、上に向かって砲撃し突撃する戦法を繰り返す。
占領するまでに、1万人の兵隊が死んだ。
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203高地の頂上かからは、旅順湾が一望できるのだが、残念ながら今日は曇っていてよく見えない。
203高地から旅順港までの距離は7km、日本軍の280m榴弾砲の飛距離は7.8m、ここから2254発の砲弾を無差別に打ち込み、ロシアの艦隊を全滅させた。
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水師営
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日本の乃木大将とロシアのステッセル中将との間で停戦条約が「結ばれたところである。
日本軍の野戦病院の手術台の上のカバーをかけて会談した、その場所が、そのまま残っている。

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しかし、この場所は115年経過し、修復に金がかかること。日本にとって重要かも知れないが、中国に取っては余り意味のない遺跡であるので、取り壊されり予定とのことである。

水師営の後は、旅順港や日本人街を見て回った。
旅順港は今でも軍港であるので、写真は撮らなかった。
写真は関東軍の建屋の後です。
関東軍は、元は中華民国からの租借地であった関東州(遼東半島先端)の守備、および南満州鉄道附属地警備を目的とした守備隊であった。
所が、満州鉄道は、鉄道だけでなく、炭鉱開発や路線開発も行っていた関係もあってか関東軍も、色々かってなことをやりだした。
満州事変後は満州国の首都である新京(現在の長春市)に移転した。
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第二次世界大戦前の関東軍の暴挙について、なぜそんなことをしたのか疑問を持っていたが、ここにきて成程そういう事も関連していたのかと、納得した。

 

 

 

 

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