カンボジア観光 その4 水上生活・その他の雑感
中国に端を発したメコン川はビルマ、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムを通って南シナ海に流れ込む。
メコン川の「メー」はタイ語やカンボジア語で「母」を意味し、「コン」は「水」を表すカンボジア語からきているそうですから、カンボジアがその中心地になるらしい。
セムリアップのすぐ近くには、トンレサップ湖があり、雨季には琵琶湖の20倍という広さで「カンボジアの心臓」とも呼ばれ、ひょうたん型をしている。
一年のうちほとんどの期間は、水深約1mで、琵琶湖の4倍程度の面積しかない。しかし、夏季のモンスーンの時期には湖からプノンペン付近でメコン川に流れ込むトンレサップ川が逆流し、そのため周囲の土地と森は水没、水深も約9mと深さを増す。
トンレサップ湖には有機物が豊富に流れて来るため大量のプランクトンが発生し、魚もたくさん生息します。体重100kgを上回るメコンオオナマズやフグなど600種以上の淡水魚がいるようです。但し、ワニや毒蛇も生息している。
トンレサップ水系で採れる魚は、カンボジア人のたんぱく質摂取量の60%を占めると言う。。
トンレサップ湖からベトナム国境に至る湿地帯には、世界最大の水上生活者がいて、1ブロック1万人、100ブロック以上で約200万人が暮らしているそうです。
19日(月)午前中、ホテルに帰って朝食の後、トンレサップ湖のあるブロックの水上生活者の様子を見るクルーズに参加しました。
シェムリアップから車で約30分の所に発着場があり、ここからボートで湖上を廻って水上生活者の様子を見るコースです。
トンレサップ湖には、浸水林と呼ばれる木が生えています。高さ10mにもなり、葉が水の上に出ています。所によっては淡水マンゴローブもある。
この木は水に浸かっていても枯れませんし、この木のお陰で水上生活が安全で、豊かなものになっています。
家は、浸水林に繋がれていて、家が流されないように工夫されています。
ドラム缶の上に板と竹を使って作られています。
家のベランダで涼んでいると、隣の家の様子がよくわかります。家は、ベランダを内側に向けて配置しているので、隣同士のベランダで話ができます。
水上には、食品販売、散髪屋さん、交番、学校、ガソリンスタンドなど沢山あります。
ボートの終点には水上結婚式場もありました。
水上生活者の主な仕事は漁業ですが、水深の違いにより魚が集まる場所とワニが集まる場所がある。
移動手段は船ですが、手漕ぎの舟、エンジンのついた船、モータボートと用途に応じて様々です。
写真は学校の生徒を送り迎えする船です。
ボートの終点にワニの飼育場があり、ワニが魚を食べるところをショーとして見せてくれる。
壁に湖の地図が張ってあった。青が陸地で、白色は湖や湿原です。どこで何が採れるかが詳細に書いてある。
ボートの終点から帰る途中、突然雨が降ってきて叩きつけるようなスコールに出会った。
乾季に入ってスコールが来ることは珍しい、とのこと。発着点に戻る前にスコールは空けて涼しくなったようだ。
水上生活は、外から見るとのんびりしてよいように見えるが、大変なこともあるようだ。
飲み水は、湖に水を植物でろ過して飲んでいる。
生活排水や汚物も家屋からすべて川に垂れ流しなので、水の汚染によって衛生面でも問題がある。雨季には毒蛇も増えるらしく、噛まれると死につながることもあるようです。
トンレサップ湖周辺の水上生活者は200万人と聞いたが、ベトナム人も含まれている。
もともとは100万人程度であったが、ベトナム戦争やカンボジアのポリポト時代に地雷や迫害を恐れて水上に逃れてきた人達が相当いる。これらの人達は、国籍がなくベトナム、カンボジアの双方から受け入れてもらえず陸地に戻れない。
ここでも戦争の影響が残っている。経済が発展して、人手不足になった時まで待つ、しかないようです。
伝統舞踊
19日の晩は、アマゾンレストランで伝統舞踊“アプサラの舞“を鑑賞した。
カンボジアの伝統舞踊の歴史は、アンコール時代までさかのぼる。
当時、寺院(今の遺跡)は王が神と交信しながら政治を行う場所でした。その天界と下界をつなぐ媒体としていたのが、踊り子たち。
歴代の王たちは自らの舞踊団を持っていて、踊り子たちは重要な王室行事や雨乞い儀式などで、美しい舞を披露していたと伝えられています。
アプサラ(姫)の舞
クメールマッサージ
20日の午後は、クメールマッサージに行った。
ボディとフットがあったが、歩き疲れていたのでフットマッサージをしてもらった。
クメールマッサージは、私の近所でやっているタイ古式マッサージの由来ともなったマッサージだそうです。
クメール王朝が隆盛を極めた時代、瞑想した後に静養する僧侶のために組み立てられたマッサージでしたが、今では病気治療のためカンボジアの一般市民に広がっている
カンボジア人の生活・文化はクメール王朝と切っても切り離せない存在のようです。
雑感
カンボジアは、日本と同じ立憲君主制の国、人口1600万人、平均年齢が24歳(日本は84歳)。
圧倒的に若年層が多いのは、ポル・ポト時代に大量虐殺が行われ、高齢者・知識人がいなくなったという事情もある。
「考えることができる人」は政権に反対する可能性があるという狂気の思想のもと、クメール語が読める、メガネをかけている、手がきれいなのは仕事をしていない・・・。そんな理由で簡単に大多数の大人、そして子どもたちも容赦なく虐殺されていった。
その数は300万人とも言われている。
これは狂気と言えるが、日本でも同じことが行われてきた1億玉砕を唱え無謀な戦争が続けられた。第二次世界大戦の日本の死者は300万人。
第二次世界大戦後、日本は、この反省の元に国が発展してきた。
ガイドさんの言葉から、もう仲間内の戦争はしない。国を発展させていこうという意識が感じられた。
若いい国なので活気がある。これから発展していくだろうと感じた。
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