アピア(サモア)
11月24日のアピアが第88回ピースボート地球一周の旅最後の寄港地となる。
アピアは、サモア独立国の首都で人口は37,000人である。観光と魚業や林業(魚やコプラの輸出)を主な産業としている。
サモアに人が住みついたのは今から2500年前、我々と同じモンゴロイドがフィリピンやインドネシアを経由して、この島に入った。その後1200年頃にはトンガ人のトンガ王国の支配下にあった。18世紀以降はアメリカ、ドイツ、ニュージランドの支配を経て1962年に独立した。
11月24日午前中は、オプショナルツアーのアピアショート観光コースに参加した。観光と言っても、この国には特別に見るべきものが少ない。
最初に行ったのは「ロバート・ルイス・スチィブンソン博物館」、ロバート・ルイス・スチィブンソンはアメリカ人であるが約100年前、この国にアメリカ風の邸宅を建てて住み、そこで有名な「ジキル博士とハイド氏」「宝島」「誘拐されて」の3つの小説を書いた。住んでいた期間は10年位であるか、その邸宅と遺品がそのまま残っている。
ツアーでは、彼とその家族が住んだ居所、書斎、寝室、ロビーなどを見て回った。
次に行ったのは「ティピアの滝」、山の中にあるサモア最大(落差100m)の滝である。
その次は、車窓から市街を見物し「土地称号裁判所」に行った。サモアでは国としての法律はあるが、島ごとに部族単位で自治が行われている。この裁判所は、部族間の紛争を解決するための裁判所である、とのことであった。
その後は、マーケットに行ったが、主に女性や子供の民族衣装や装飾品を売っている。一周りすると、パンを油で揚げて売っている店が何軒も並んでいる所に出た。そのパンを地元の人が美味しそうに食べている。買わないかというので1つ買ってみた。1つ1.5ドル、中に何が入っているか分からない。食べて見ると煮込んだ肉が出てきた。少し匂いがするので何の肉か尋ねるとラム(こひつじ)の肉だとのこと。ラムの肉を食べたのは初めてだ。少し匂いがするが美味しい。
マーケットで同じツアーバスに乗っていたTさんとYさん夫妻の4人でバスを降りて離団し、市内でランチを共にすることになった。
案内パンフレットを見て、歩いて20分位ある「ザ・コーヒー・ビーン・カフェ」に行った。テーブルについてビールと頼むとこの店ではアルコール類は販売しないと言う。
仕方がないので店を出てタクシーを拾って山手の「ロコス・レストラン」に行った。
「ロコス・レストラン」は山の入り組んだ所にあり静かで周りの山が庭園のようになっている。静かだ。鳥のさえずりも聞こえる。一人ひとりがシーフードやロブスター、ビーフなどを注文し、お互いに分けあいながら食べた。山の景色を眺めながらゆったりした気分でランチを摂ることができた。料金は飲み物も含めて一人15ドル位だったと思う。
ランチの後は、一先ず船に帰って一休みした。
夕方、自分の同室の3人とバーベキューでお世話になった女性にMさんの4人で寄港地での最後のディナーを摂る約束をしていた。
午後5時にアピア市街中心部の時計塔の下で待ち合わせする約束である。時計塔までは船から歩いて約25分、景色を見ながら道を歩いていると、髪に花をつけた現地の女性が英語で話しかけてきた。「どこから来た」「どこまで行くか」「何日滞在するか」「次にどこへ行くか」「サモアの印象はどうか」といったことを次々に尋ねてくる。話しながら歩いていると退屈しない。
時計塔の下まで来ると、先にKさんとOさんがきて待っていた。間もなくMさんもきた。
相談の結果、今度はアマナキホテルの中というか、ベランダにあるアマナキレストランに行くことになった。
アナマキレストランでは旬の魚料理が食べられると紹介されていたので、マグロの刺し身があるか聞くとあるという。今回も刺し身、ビーフ、シーフードと各自が食べたいものを注文し分けあって食べた。浜風に吹かれながら、気心の知れた者同士が冗談を言いながら食べるディナーは美味しい。
ビールは一人2本程飲んだが、横のテーブルを見るとココナツの穴を空け吸うココナツミルクを美味しそうに飲んでいる。他の3人はココナツミルクを飲んだことがあるというが、私はまだ飲んだことがなかったのでココナツミルクを頼んだ。甘い味がする。料金はチップ込みで一人18ドルでした。
食事の後、船に帰ると午後7時30分でした。
今回の寄港地では観光(サイトシーイング)では余り見るものがなかったが、食事には大満足でした。
最後の寄港地で仲間と楽しいひと時を過ごすことが出来ました。仲間の皆様、どうもありがとうございました。そして、私をピースボートの快く送り出してくれた家族にも感謝します。
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