ベリーズ
10月27日
ベリーズはカリブ海沿いにメキシコの南側に位置する国である。人口は約60万人、首都はベリーズシティで人口は6万人である。第二次世界大戦の後、イギリス領から独立した。主な産業は観光で、2番目は農業―バナナの生産である。
クルーズは午前7時にベリーズ港に入港した。船からベリーズシティクルーズターミナルまではタグボートで渡る。移動時間は約20分である。27日はツアーではなく自由行動とした。
午前中はトロリーバスで市内見学、トロリーバスとは言うもの発着場でオープンカーにしてほしいといったら何とオート3輪に4人の乗りの座席シートをつけたものだった。
私一人では間が持たないと思ったので、ターミナルで出会ったSさん夫妻他合計4人で乗ることにした。
オート4輪の運転手兼ガイドにゆっくり話をしてくれ、と頼んだら所々で止まってゆっくり説明をしてくれた。所が、少し英語が分かるのが、私一人だったので、私の中途半端な解釈で通訳をすることになったしまった。同乗者の皆さんすみません。メモリアルパーク、造幣局、高級住宅街、市場、ショッピング街、農産物市場、セント・ジョーンズ・カテドラル(200年前、英国が建てた協会)などを一回りした。
4人だけの少人数に対するガイドだったので、分からないところは聞き返せる。プライベートな話でガイドが出た学校まで案内してくれた。街の道路が狭く大型車が入れない場所が多々あり3輪車が正解のようだった。
市内見学の後12時30分にTさんと待ち合わせてあったので、街中をぶらぶらして時間をつぶす。Tさんはオプショナルツアーをとっていて終了後合流、12時40分にTさんの母校の三田会の先輩と一緒に待ち合わせ場所に現れた。3人でレストランを探し15分ほど歩いて海岸線近くのレストランに入った。
市内見学のときにベリーズの一般的なディナーはビーフ&ライスであると聞いていたのでビーフ&ライスを注文した。ライスとビーフにココナツ等の甘い野菜を添えたものである。ビーフは柔らかくて美味しかった。
レストランの2階の窓から外の景色を楽しみながらゆっくり話しをしながら食べ飲んだ。結局地ビールを3本飲んだことになる。
ランチの後、別れてお互いに別行動をとることになった。私は床屋に行くことにした。道であったおばさんに近くに床屋がないか聞くと、大通りから路地に入った床屋に連れて行ってくれた。床屋は大男、いつも店にいる友だちと大きな声で話しをしている。この床屋は散髪をするときお客と話ししながら刈るのだろう。所がお客の私が日本人だったので話をすることができず、代わりに周りの人と話をしたのだろうと推測した。
散髪の方はバリカンでサッサッと髪を刈る。その後はカミソリで髪型を調整、約20分で終了した。料金は10ドル、チップとして1ドル渡すと、その金を案内してくれたおばさんにそのまま渡していた。
散髪の後はターミナルまで歩いて帰る。当日の気温は31℃、ターミナルナで歩いて帰ったが汗びっしょり、ビールを飲んでいたこともあって喉が乾く。
ターミナルでジュースを飲もうと探していたら、ビートの聞いた音楽をガンガン鳴らしているカウンター形式の店に出あった。カウンターの中にウェーターが2人、ウェートレスが2人、売っていたジュースはマンゴージュース 10ドルだという。少し高いと思ったがマンゴージュースを頼んだ。ジュース飲んでいるうちに目の前のウェートレスが音楽に合わせて腰を振りながら踊りだした。腰の振り方はベリーダンスに似ているが、ベリーダンスとも違う、ベリーズ流メレンゲらしい。クルーズでサルサダンスを習っていたとところなので私も何とかやれるのではないかと思って、カウンターの外に出てきて一緒に踊ろうといったら、恥ずかしそうに外に出てきて一緒に踊りだした。その内にもう一人のウェートレスも一緒に出てきた。3人で踊る。私の方は見よう見まね。ベリーズ独特のビートの利いたテンポの早い曲に合わせて腰を振りながら踊る。日本人が踊っているのが珍しいらしく店のウェーターが仕切に写真をとっている。周りで見ていた別の現地の女性も一緒に踊りたかったらしく、踊り終えるとタッチしてきた。踊りの好きな陽気な国民である。
帰ろうとしたら、マンゴージュスは10ドルではなく、徳利型をした容器が5ドル、ジュースが5ドルだった。踊った記念にと容器を綺麗に洗って渡してくれた。
ありがとう。楽しかった。
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