ヴェネチア
ヴェネチア共和国は10世紀から16世紀にかけて、ヴァスコダ・ガマが喜望峰をまわるインド航路を発見するまでヨーロッパと中東の交易の中継地として、アドリア海周辺を支配していた。交易だけでなく、軍事や陸地の農業や林業も支配していたとのことです。
ナポレオンに征服されてから滅亡し、現在は、当時の勢いはなくなり、専ら観光を主な産業としている。
今回寄港したのは、ヴェネチアの市街で、潟の上に木柵を土台として街が建設されている。現在の人口は約26万人である。
10月1日午前7時に入港した。この地は北緯45度に位置しており、日本で言うと礼文島と同じ緯度である。当日の気温は14℃から20℃とこれまでとうって変わったように寒い。
午前中はショート観光コースに参加した。クルーズターミナルから水上バスでサン・マルコ広場まで行きドッカーレ宮殿、サン・マルコ寺院、ガラス工房を見学した。
■ドッカーレ宮殿
ヴェネチア共和国の歴代の総督が住んでいた所である。評議会の部屋や大会議室、舞踏会上などがある。壁から天井にかけて当時の一流の絵師が描いた絵や彫刻が並んでいる。
舞踏会場に世界一大きいという絵があった。絵の内容はキリスト教の天国の楽園の様子を描いたものであった。
■サン・マルコ寺院
聖マルコの遺体を納めるために建てられた寺院である。内部のモザイクが美しい。午前11時ころに入ったが、丁度、その頃は外から太陽の光が差し込み、天井が金色に輝いて見えた。
午後
12時頃にツアーから離脱。今回はセブ島・ムンバイで同行したTさんと久しぶりに一緒、それと大手食品メーカーを定年退職したばかりのFさんの3人でグェネチア市街を散策した。
サン・マルコ広場の裏通りの小さなレストランでランチ、パスタ、ピザと、ビール、ワイン、かなり飲んで食べた。代金は3人合計で90ユーロでした。店内でサンパウロから来たというブラジルのグループと一緒になった。サンパウロには日本人が沢山いるということで大変フレンドリー、一緒に写真を撮って盛り上がった。
レストランを出て、サンタ・ルチア行きの乗合水上バスに乗り、途中の駅で降りた。
ここからサンタ・ルチアに向かって街中を散策する。街中は車が入らないので歩行者だけであるが、表通りは観光客でごったがえしている。路の両側にガラス工芸品、仮面、ワイン、バッグなどの店がどこまでも続いている。
Tさんは、初めからショッピングがもう一つの目的だったらしく、一つ一つの店を見て回り気に入ったものがあるとどんどん買っていた。私は安いものがあれば買うときもあるが多くは彼女のショッピングのお付き合いである。
夕方になり、ショッピングに疲れて、街角レストランに入って夕食をとる。ピザとワインとデザートを頼んだのだが、私がうっかりナイフとフォークを置く一を間違え、半分くらい食べたところでウェーターが終わったものと思って引き上げてしまって、少しもの足りない気分でいた。
レストランを出て何度も路を聞きながら、サンタ・ルチアに向かって歩いて行くと水辺のほとりのオープンレストランでピースボートの仲間が夕食を摂っているのにであった。Tさんが気をきかせてくれて、ここでもう一度食事をしようということになりパスタとワインを頼んだ。
結局、この日はビール1回、ワインを3回飲んだ。日本にいるときは焼酎オンリーだったが、これだけ毎回ワインを飲むとワインが身近に感じてきた。ワインを1本注文すると最初に試飲をして、それからグラスに注いでくれるのだが、私が試飲をしても、まだ香り・味の違いがわからない。皆さん、本当に違いがわかっているのだろうか?
その日は船に帰ったのは午後9時30分、帰船リミットの1時間前でした。
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