ムンバイ
ムンバイ(英語名ボンベイ)は紀元前1000年前からある歴史のある街である。1668年から1947年までの間、大英帝国の一部として英国の支配下にあった。ムンバイは英国東インド会社の拠点として貿易港として発展してきた。現在は、金融業、映画産業で栄えているようである。人口は1200万人と東京都とほぼ同じであるが面積は東京よりも小さい。使用される言葉は主にヒンズー語であるが、他に100種類位の言葉が共存している。
9月8日、午前7時にムンバイ港に入港した。
オプショナルツアーはショート観光を選んだ。午前9時より、インド門、CST駅、ドービーガーター、旧称ウエールズ博物館、コラバコーズウエイを通って港に帰るコースである。
インド門
1911年に英国ジョーズ5生世夫妻の来印を記念して建てられた。英国の植民地支配の象徴である。そのすぐ横に、インドの大富豪ターターが建てたタージ・マハール・ホテルがある。
CST駅
東京駅に似たレンガ作りの立派な駅で、ここからインド各地の列車が出ている。
バスで市内を見ていると、多くのビルがあるが、ほとんどがレンガ作りである。これも英国統治時代の名残であろう。
ドービーガーター
ヒンズー教のカースト制度では、地位別に職業が分類されている。現在では法律で撤廃されているとのことであるが、実質的にはその名残が残っている。ドービーガーターとは洗濯屋さんの集合地域のことで、この地域に屋外洗濯場が見渡す限り一杯に広がっている。
ムンバイの一般家庭には洗濯機はない。ドービーガーターから洗濯屋さんが週一回洗濯物を取りに来てくれて選択して返す。案内人の話では1パック200円程度で、キレイに洗濯されたものが返ってくる、間違いも殆ど無いとのことであった。
チャトラバティ・シヴァージー・マハラージ・グァッツ・サングラハラヤ(旧プリンスオブウェールズ博物館)
ウェールズの皇太子の来印を記念して建てられて博物館。紀元前1000年前から現在に至るインドの収集物や美術品が展示されている。
コラバコーズウェイ
ムンバイの繁華街.
12時すぎに到着した。ここで、バスにおさらばして、友人と二人で自由行動に変えた。
先に、ランチをとるレストランを決めて地図を準備して行った。インド人のバスガイドさんに地図を見せ、どう行ったらよいか聞いて、その通りに行った積もりであったが、結果的に方角が違っていて全く違うコラボのショッピング街に出てしまった。ショッピング街と言っても歩道の両側に露店のような店がズラリと並んでいる。人がいっぱいいて、その合間をくぐり抜けて通る。英語で道を訪ねていると、周りにいたインド人が聞き耳を立てていて何人も集まって来て道を教えてくれた。しかし、全く違う方角に来ていたので何回聞いてもよくわからない。
地元の人が食事をとるならこのレストラン(確かボーダーレストランだったと思う)がよいと勧めるので、その店に飛び込んだ。魚のカレーとナンとビールを注文するとビールはないという。ここはイスラムの人も入る店だったようだ。代わりにマンゴージュースを頼んだ。スパイシーも丁度よく美味しかった。
店を出て海岸に向かって歩くとインド門の裏側に出た。物乞いや土産物売りが近づいてくる。コンパクト一眼レフを持っているので旅行者だということがひと目で分かるようだ。振りきってタージマハールホテルのスターバックスで一服した。次にどこに行こうか、市民美術館に行きたいが、どうしていくか相談している、またも近くの席の人が来て丁寧に道順を教えてくれた。
市民美術館はムンバイのアマチュア作家の絵画や彫刻が4フロアに渡って展示されている。基本的には日本の美術館と全く同じシステムである。トイレに行こうとするとトイレの前に女の人が待っていて2ルピア出さないと入れないという。コインは持っていない。50ルピア紙幣ならあるというと、諦めて渋い顔をして入れてくれた。
美術館を出てぶらぶらしていると、高齢のおじさんが絵葉書セットを買わないかと日本語で呼びかけてきた。いくらかと聞くと200ルピアだという。それならいらないというと最後は50ルピアまでまけてくれた。持ってきたルピアは、残り100ルピアしか残っていない。どこから来たかというので船のグリーンゲートに返るところだというと、ここから30分で歩いて行けるという。それなら100ルピアでグリーンゲートまで道案内してくれと頼むと喜んで引き受けてくれた。
街の雑踏の中、車の間を通り抜けながらムンバイの名所説明を入れて案内してくれた。歩いてみると街の中は話し声や車のクラクションがごっちゃになって大変騒がしい。緑も多い。しかし、ここのクラクションは殺気立った感じを受けない。挨拶代わりと言った感じである。街の中の車はススキとホンダが8割、残り2割がトヨタ、タタ、BMW、フォルクスワーゲンと言った感じである。オートバイはほとんどがヤマハでした。
私の持っているCANONのカメラをしきりに褒めていた。そういう意味で、日本人は金持ちだと思っているらしい。
ムンバイはシンアポールとは全く違う。雑然・混沌としていながら全体として調和がとれている。決して清潔な街とはいえないが、その混沌さが心に安らぎを与えてくれる。この街なら1ケ月位、潜伏していても良いという気持ちになった。
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コメント
長井船旅お疲れさんでした。ムンバイは25年ほど前に仕事でゆきました。インド門、タジホテル・・・懐かしい名前です。夜は真珠の首飾りといわれる海岸線をタクシーで回ったことが思いだされます。この後も健康に気を付けて
お過ごしください。
投稿: mukai | 2015年9月12日 (土) 07時04分
はじめまして。今回私の旅友達がドバイから乗船しています。私も一緒に行きたかったのですが、諸事情により彼女が探検隊として世界ぐるーっと旅にでました。
どんなふうに楽しんでいるのか気になり見ていたところ、「がまがえるのつぶやき」さんを発見@@
私も一緒に旅をしている気分でときどき覗かせていただいてもよろしいでしょうか?
ちなみに彼女はジャズと映画と酒を愛するかっこいい人です。山口県からです。
まだまだ続く船旅・・・・楽しいことがたくさんありますように。そして無事に帰国されることを祈ってます。
投稿: ナオコE | 2015年9月12日 (土) 20時49分
向井さん
ありがとうございます。良い経験になります
ナオコさん
ルームメートが山口市出身なので身近に感じます。彼は14日、ドーハで政府主催の歓迎会で合唱団に入ってコーラスにでた後、オーバーランドでスイス3名山の旅にでました。
12日後、サントリーニ島で合流です。
インターネットの通信状態が悪く、2回に1回しか接続しません。気まぐれのアップになりますが、気が向いたら覗いてください。
投稿: がまがえる | 2015年9月16日 (水) 15時27分