« 植樹祭メモリアルライン完成記念ウオーク | トップページ | 早春の榛名山トレッキング »

2015年3月31日 (火)

大聖寺城下町ウォーキング

Img_2191
3月26日(日)福井県ウォーキング協会の例会「大聖寺城下町ウォーキング」に参加しました。
自分のブログを検索して見ると、「大聖寺城下町ウォーキング」は、4年前に小松ウォーキング協会の例会で7kmコースに参加していた。今回は18kmコースに参加です。
 
P01
JR大聖寺駅より菅生石部神社=中央公園=加賀フルーツランド=鴨池観察館=深田久弥「山の文化館」=江沼神社・長柳亭=大聖寺城址=大聖寺寺院群=全昌寺=実性院=JR大聖寺駅 に帰るコースです。
  

Img_2175
準備体操のあと、朝9時にJR大聖寺駅をスタート。
 
 
Img_2180
加賀市役所前の通りを2km進むと大聖寺川に出る。川の橋を渡って50mほど行くと菅生石部神社に出る。
 
 
Img_2184
菅生石部神社
この神社は、用明天皇元年(西暦585年)に創祀されたとのことで、鎮守の森に囲まれており樹齢何百年の古木が多い。
毎年2月に行われる竹割まつり・グズまつりは有名である。
白装束の若者が2mの青竹数百本を神社の拝殿や石畳に打ちつけて割り、最後に青年たちが大蛇を拝殿から引き出し、橋の上から大聖寺川へと投げ込む。
以前テレビで祭りの様子を見ていてよく分からなかったが、ここに来て見ると菅生石部神社から大聖寺川までは50m位しかないのを見て、大蛇を拝殿から引き出し、橋の上から大聖寺川へと投げ込むという祭りの流れに納得です。
 
 
Img_2196
菅生石部神社を出て、旧北陸街道沿いに中央公園に向かう。
 
 
Img_2193
途中に「敷地一里塚」がある。
徳川家康が秀忠に命じて、江戸日本橋を起点として東海・東山・北陸の三県に一里塚を築かせた。北陸街道には18ヶ所の一里塚があり、「敷地一里塚」はその一つ。一里塚には榎(エノキ)が植えられ、旅人は榎の下で休息をとったとのことです。
 
 
Img_2203
加賀市中央公園です。ここには、陸上競技場、スポーツセンター、相撲場、テニスコート、屋内プール、屋外プール、野球場などのスポーツ施設のほか、屋外音楽堂、運動広場、おとぎの国、彫刻の森、彫刻の丘、遊具の有る冒険の丘、わんぱく城、ちびっこ広場など色んな施設が揃っている。
小雨のためか子どもは見かけなかったが、高齢者が多勢グランドゴルフを楽しんでいた。
 
 
Img_2207
中央公園を出て、加賀フルーツランドに向かう。
 
 
Img_2215
Img_2218
加賀フルーツランドです。
加賀フルーツランドには、私の個人的な思い入れがあった。
加賀フルーツランドは、岸グリーンサービスのグループ企業である有限会社三共農園が経営している。岸グリーンサービスへは、過去にエコアクション21の審査で数回訪れており、そのときに岸社長様より加賀フルーツランドの沿革について聞いていた。
<沿革>
加賀市豊町は、昭和38年1月の記録的豪雪により壊滅したぶどう農家が翌年再起をかけて農地造成した海岸丘陵地の町です。
昭和43年には豊町果樹生産組合が設立され、一時は順調に果実生産が行われていたが、高齢化による離農、台風・豪雪等の自然災害、消費者ニーズへの対応が不十分であったこと等が要因となって遊休農地が増加しました。最多20件あったぶどう農家は昭和の終わり頃までには12件までに減少していた。
一戸一農家が主流であった当時は、厳しい労働環境にある農業を子供に継がせる意思を有した農家は少なく、二次産業や三次産業へ子供を就職させていた。
当時のぶどう農家はぶどうの生産による収入だけでは生計を支えることができず、自らが保有する土地の良質な砂を売却していた。なお、現在の豊町の起伏に富んだ雄大な景観は、この砂の採取によりできたものだそうです。
土木・造園・緑地管理を主要事業とした株式会社岸グリーンサービスは、豊町の窮境した状況を目にして、有限会社三共農園を通じて遊休農地を活用することを決意し、昭和59年の三共農産を設立した。
現在、三共農園は、いちご・さくらんぼ・ぶとう・りんご・ブルーベリーなどのフルーツ狩りを中心として、飲食、物品販売を行っているが、フルーツは収穫期前に、豊町フルーツランドの果樹生産農家からJAを通じて果樹園ごと買い取っている。
これは、地域創生の一つの成功例ではないかと思って聞いていたが、これまで実際に加賀フルーツランドにきたことはなかった。
 
 
Img_2219
今回来てみて、若い家族連れが沢山来ている。
ウォーキングでフルーツランドについた時、丁度、いちご狩りに出るバスが出るところだったのですが、2台のバスが家族連れで満員の状態でした。売店もきれいで、レストランも満員です。
よくやっているようだ。これは今政府が進めようとしている地方創生の一つのモデルではないか。なんとなく、我がことのように嬉しくなりました。
 
 
Img_2221
ラムサール条約の登録湿地「片野鴨池」です。
小雨模様になってきて、ここは素通り。
 
 
Img_2227
登山家、「日本百名山」の著者 深田久弥の「山の文化館」です。ここで、トイレ休憩。
 
 
Img_2230
Img_2233
江沼神社です。神社の後ろの川沿いに「長流亭」がある。
江沼神社は、宝永元年(1704年)に大聖寺藩三代藩主前田利直邸内に前田家遠祖の菅原道真公の霊を祀る天満天神社を建立した松嶋神社がはじめとされ、藩祖前田利治公をお祀りしている。その後明治10年に江沼神社と改称された。
所で、大聖寺藩とは → wikipedia大聖寺藩
加賀藩の第3代藩主前田利常が隠居する際、三男の利治に大聖寺7万石を割いて、与えた藩で後紆余曲折を経て10万国になった。
大聖寺藩には城はない。館というか、陣屋だった。長流亭がその代わりということらしい。
長流亭は大聖寺藩主の休息所として宝永6年(1709)に上棟、藩邸の庭園の一隅に大聖寺川を臨むように建築された遠州好みといわれる亭舎です。
 
 
Img_2237
錦城山大聖寺城跡
ここが大聖寺藩のお城かと思いきや、そうではないのですね。
大聖寺城は、鎌倉時代に狩野氏によって築かれ、その居城となった。戦国時代には日谷城などとともに一向一揆の拠点となっていた。
その後、朝倉宗滴、柴田勝家、丹羽長秀、小早川秀秋の家臣山口宗永と城主が変わった。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで宗永は西軍についたため、東軍の前田利長に攻められて9月に大聖寺城は落城し、宗永は自刃した。その後は前田家の家臣が城代を務めたが、元和元年(1615年)の徳川幕府の一国一城令のため廃城となった。
 
 
Img_2240
熊坂川沿いの桜並木です。
桜の季節には、この川を流し船が通る。
毎年4月の第2土曜日・日曜日の2日間、近くの加賀神明宮の例祭が催される。山車や子供たちの囃子や獅子舞が町内を練り歩き、神社の参道には露店が並ぶ。夜になると近くの熊坂川の沿いの桜並木のぼんぼりが灯され、春爛漫を演出するそうです。
 
 
Img_2241
全昌寺。松尾芭蕉が泊まった寺。境内には芭蕉塚や句碑が建てられている。
「よもすがら 秋風聞くや 裏の山」
 
 
Img_2245
Img_2247
実性院
加賀前田藩の曹洞宗の寺院(菩提寺)です。
「萩の寺」として知られており、ここの萩は白色の萩です。秋にくると見られます。
 

大聖寺は、城主は度々変わっているが、鎌倉時代からの城下町なのですね。隣の市に住んでいるのですがよく知らなかった。このウォーキングで少し勉強しました。
お世話いただいた福井県ウォーキング協会の皆様、ありがとうございました。

|

« 植樹祭メモリアルライン完成記念ウオーク | トップページ | 早春の榛名山トレッキング »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 植樹祭メモリアルライン完成記念ウオーク | トップページ | 早春の榛名山トレッキング »