昨年の振り返りと今年の抱負
毎年暮れに、その年の振り返りと次の年の目標を立てているのだが、昨年は所用でできなかった。
今年は、正月3日に実施することになった。
-目標をどう考えるか-
先日「養老孟司×隈研吾の対談」を読んだ時、こんなことを言っていた。
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隈:サラリーマンが迎える定年というのは、死へのステップの1つ手前、みたいな感じはありますね。
養老:以前に会った福島県庁の人は、県庁を定年になって辞めた後、10年以内に半分が死ぬと言っていた。それも分かるよね、何となく。生きがい、張り合いがなくなって。
隈:おやじは85歳まで生きたし、母方の祖父母は90歳、100歳まで生きました。だから、僕は彼らと並走した感じはありましたね。
その母方の祖父は、東京の大井町で90歳過ぎまで開業していて、週末は畑仕事をしていた。彼は90歳を過ぎても患者を診ていて、患者は怖くないのかな、と僕は思っていました(笑)。まあ、ほとんど会話はないんだけど、それでも患者とスムーズに関係を築いている祖父を見て、こういう年の取り方は、なかなかいけているじゃないか、と思いました。それに比べて、サラリーマンのおやじの方は、やっぱりストレスフルなわけですよ。
そういう観察から、90歳すぎまで開業している「自営業モデル」の方が、僕もいいなと思ったわけですね。
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福島県庁でなくても、同じ役所、企業に定年まで務めた人は定年で一度死ぬ。その状態から脱皮して自由業モデルに移行すると長生きする。
自営業モデルとは、地域社会との良好な関係を築く、環境に適応する、自分の技能・知識・才覚次第ということでしょうか。
実際に自由業をやっていなくても「社会とのつながり」「生産的」であれば同じかも知れません。
私は計画があったわけではありませんが、定年後経済的理由から偶然にも自由業に転進した。
しかし、これとて同じことをやっていても何れ行き詰まる。
行き詰まった時がその活動の死である。絶えず新しいことに挑戦すること。
生きとし生けるもの、いつかは死ぬ。しかし、新しいことへの挑戦がある限り死にはしない。
仮に体力の限界が来て死んだとしても、それは世で言う“ピンコロ”。
最高の“幸せ”である。
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