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2015年1月 3日 (土)

昨年の振り返りと今年の抱負

毎年暮れに、その年の振り返りと次の年の目標を立てているのだが、昨年は所用でできなかった。
今年は、正月3日に実施することになった。

-目標をどう考えるか-

先日「養老孟司×隈研吾の対談」を読んだ時、こんなことを言っていた。
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隈:サラリーマンが迎える定年というのは、死へのステップの1つ手前、みたいな感じはありますね。
養老:以前に会った福島県庁の人は、県庁を定年になって辞めた後、10年以内に半分が死ぬと言っていた。それも分かるよね、何となく。生きがい、張り合いがなくなって。
隈:おやじは85歳まで生きたし、母方の祖父母は90歳、100歳まで生きました。だから、僕は彼らと並走した感じはありましたね。
その母方の祖父は、東京の大井町で90歳過ぎまで開業していて、週末は畑仕事をしていた。彼は90歳を過ぎても患者を診ていて、患者は怖くないのかな、と僕は思っていました(笑)。まあ、ほとんど会話はないんだけど、それでも患者とスムーズに関係を築いている祖父を見て、こういう年の取り方は、なかなかいけているじゃないか、と思いました。それに比べて、サラリーマンのおやじの方は、やっぱりストレスフルなわけですよ。
そういう観察から、90歳すぎまで開業している「自営業モデル」の方が、僕もいいなと思ったわけですね。
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福島県庁でなくても、同じ役所、企業に定年まで務めた人は定年で一度死ぬ。その状態から脱皮して自由業モデルに移行すると長生きする。
自営業モデルとは、地域社会との良好な関係を築く、環境に適応する、自分の技能・知識・才覚次第ということでしょうか。
実際に自由業をやっていなくても「社会とのつながり」「生産的」であれば同じかも知れません。
私は計画があったわけではありませんが、定年後経済的理由から偶然にも自由業に転進した。
しかし、これとて同じことをやっていても何れ行き詰まる。
行き詰まった時がその活動の死である。絶えず新しいことに挑戦すること。
生きとし生けるもの、いつかは死ぬ。しかし、新しいことへの挑戦がある限り死にはしない。
仮に体力の限界が来て死んだとしても、それは世で言う“ピンコロ”。
最高の“幸せ”である。

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2015年1月 2日 (金)

初詣と神社造営のいわれ

今年は、元旦の小松ウォーキング協会の初詣ウォーキングから始まった。
小松駅から多太神社、日吉神社、安宅住吉神社、兎橋神社をひと回り12kmのコースである。途中の木曽町公民館で豚汁が出る。
初詣とは、神様に今まで生かされてきたことへの感謝と、これから一年の五穀豊穣と願うものらしい。しかし、五穀豊穣は、現在では、自身や家族、縁のある人々の厄除け並びに無事息災、心願成就をいち早く願うものに変わっている。
私は今年2月で73歳になる。4社を廻って手を合わせてこれまで生かされてきたことの感謝と、厳かな気分を味わってきたが、格段願いごとは浮かばなかった。
神頼みより、自分のことは自分でやれ!という気持ちが心の奥底にあったからかも知れない。
4神社の中で、一番の人出が多いのは安宅住吉神社、その次が日吉神社である。
安宅住吉神社は、神社までの長い石段、燈籠、たいまつがあり、厳かな雰囲気があるということが良い。
日吉神社が町中にあり便利なことと、お飾りが良い事だろう。

初詣をしたが、そのいわれも知らずお参りするのは失礼と思い帰って調べて見ると、意外なことに気がついた。

日吉神社
Img_1881
 比叡山麓の日吉大社(滋賀県大津市)より生じた山王信仰の神社である。
比叡山を建立した最澄にとって比叡山の「山王」とは、山岳信仰に基づく、アニミズム的な形態に近い信仰対象であった。
「山王」とは山の地主神を仏教的に表現したものであるといわれる。
そういえば、写真をよく見ると、この神社はお寺のイメージとダブっている。
 

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