過疎の村の英雄
山中座から、あやとり橋、鶴仙渓、トンネルと抜けて峠越え、県内水産センターに向かう。
県内水産センターに到着、
一休み
ここには、体長が日本一大きい特別天然記念物のオオサンショウウオが飼育されている。
世界最大の両生類で、カエルを好んで食べるとのこと。
県内水産センターから今立町に向かう。途中の里山の紅葉がきれい。紅葉の葉がひらひら風で舞い落ちるところが感動的でした。
残念ながら、写真ではその動きが取れません。
今立町に到着。
伝統的記念物保存協会の事務局長さんに説明を受けました。
今立町は、昭和初期には炭焼きの村で約70家族が住んでいた。現在は30家族位で、それの70歳以上の高齢者のみが住む典型的は過疎地域である。
重要伝統建築物保存地区とは、消えゆくこの地域の民家や風景を後世に残すために文化庁が選定し支援する制度です。
この地域の特徴は赤瓦と囲炉裏で焚く煙を外に出す囲い造りです。
今立町は「辻政信」の生誕の地で、記念碑や銅像が立っている。
私は、重要伝統建築物よりもこちらの方が印象に残った。
辻政信は、この地から出て陸軍大佐にまで出世し、終戦直後雲隠れし5年後に突然出てきて「潜行三千里」を発行、ベストセラーとなり、その後国会議員を4期努めた。
地元の人にとっては神様のような存在なのだろう。
しかし、先に他から辻政信の評価を聞いている私にとっては、複雑な思いがした。
辻政信に関東軍参謀への道を開いたのは、後に第二次大戦中の首相となった東条英機である。
関東軍で石原莞爾に会い、その思想を崇拝した。
昭和14年ノモンハン事件で、作戦参謀として指揮し敗れる。1万8千人の日本兵が亡くなった。
第二次大戦中は、ガダルカナル島の作戦参謀として指揮し撤退。2万人の日本兵が亡くなった。
その後、インパールでも参謀として作戦を指揮し、3万人の日本兵が亡くなった。
作戦の話をさせると、流暢で聞く人を心服させ、作戦の神様と言われたという。私も18歳の頃、参議院議員に立候補した辻政信の演説を聴いたことがあるが、確かに話はうまかった。
しかし、作戦は兵士のやる気を鼓舞することに視点が置かれ、兵站は軽んじがられていた。
辻政信は著書「ノモンハン」において「戦争は負けると感じたものが負ける」を述べており、これが辻の作戦感なのだろう。
どうして、このような人が日本軍を動かいすことができたのだろうか。
頭が良い(陸軍大学での成績)、口がうまい、文章もうまい、正義感がある、努力家、人心掌握がうまい、声が大きく自分の意見を押し通す。
別の面からみると、自分の考えを通すためなら「何でもあり」という人物である。
こういう人には誰も太刀打ちできない。
アメリカ国立公文書館で2005~2006年に解禁されたCIAの機密文書に「辻政信ファイル」というのがあり、そこには「政治においても情報工作においても性格と経験のなさから無価値である」「機会があるならばためらいもせずに第三次世界大戦を起こすような男」(1954年の文書)と酷評しているそうである。
今の世の中でも、頭がよくて、口がうまく、人当たりが良く、人情家で、真面目で、声が大きい、本人には他意がないのだが全体感に欠け、結果的に組織の出既得権益を守っているに過ぎないという人が沢山いる。
知らず知らずのうちの、こういう人達に飛んでのないところに連れて行かれてしまうのだろうか。
辻政信の話は、他人ごとではない。
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