コマツ工専同窓会
7月12日、京都清水寺近くのホテルりょうぜんで、小松工業専門学校第1期、第2期合同の同窓会が開催され参加しました。
小松工業門学校とは、小松製作所が昭和35年、設計技術者の養成を目的として全国の工場より入社後1年以上業務を経験した高卒の社員を試験選抜して、小松市粟津駅の近くに開校した学校である。期間は2年間全寮制で講師の殆どは金沢大学の工学部の教授であった。現在、この学校は小松短期大学の中に生産システムステージとして編入されている。
第1期25名、第2期40名で、私は第2期生として、昭和36年、37年の2年間をこの学校で過ごした。
全国から集まった仲間には色々な特技や趣味を持った者がいる。会社から給料をもらって勉強をしているので勉学が第1であることは当然であるが、私の場合は、貧しい農家の三男坊で、これといった特技もない初心な青年であったが、この2年間の間に登山、スキー、マージャン、社交ダンス、文学のまねごとなど色々なことを教えてもらった。
2年間終日顔を合わせ同じ釜の飯を食った、ということは特別な関係である。
卒業後、会社に勤めている間は、お互いの立場の違いや仕事の忙しさから一同に会することはなかったが、定年を過ぎると、もう地位や名誉とは何の関係もない。昔のように好きなことを言い合える関係に戻った。
この同窓会は、関東、北陸、関西の3つのブロックに分かれ、幹事持ち回りで4年ごとに開催している。今回は関西の担当で3回目の同窓会である。1期、2期65名中、生存者は56名、出席者は29名、各人の健康や都合を考慮すると高い出席率である。
これは、体験の共有とお互いの気心が分かっている、ということからくるものだろう。
7月12日は9時に貸切バスで小松を出発、途中比叡山延暦寺を見て、16時に「ホテルりょうぜん」で、各地から集まった仲間と合流した。
13日は、全員で近くの琵琶湖疏水記念館と無鄰庵を見た後、4年後に関東で会うことを誓って散会した。
幹事の皆さん、どうもありがとうございました。
比叡山延暦寺
比叡山延暦寺は、今から凡そ1200前伝道大使最澄が平安京の東北である鬼門を護り、比叡山に根本中堂を建立した。その後、根本中堂を中心に東塔と西塔が形成され、慈覚大使円人によって横川が開創された。
法念上人、親鸞上人、道元禅師、日蓮上人、など我々の身近な上人・禅師がここで修業し悟りを開いている。写真は横川の釈迦堂の入口です。
ホテルりょうせん
幕末の頃、坂元竜馬が宿にしていた所、
ホテル内に温泉があり「竜馬の湯」と名付けられている。
琵琶湖疏水記念館で記念撮影
明治維新による東京遷都により衰退した京都に活力をよびもどすため、明治16年、琵琶湖から運河により水道水を引き、この水力発電にも活用することを計画した。第1期工事は明治18年から5年間をかけて完成、当時として工事殉難者17人を出す大工事であったようだ。
私としては知らなかったが、琵琶湖の湖面の標高は、86mで、京都とは標高差は約40m位あるらしい。
無鄰庵
明治・大正の元老 山県有朋の別荘。
ここで明治36年、山県有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の4人によって、日露開戦直前のわが国外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれた。
庭園は、東山をバックとして、疏水の水をとり入れ,三段の滝,池,芝生を配した池泉廻遊式庭園です。
紅葉の木も多数あり、秋が見頃だと思います。
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