”天下第一の桜”をめでる
( 4月11日朝 長野県飯田市 高遠城址公園の桜 )
町内の自動車屋さんより長野まで桜ツアーをするが来ないかと言われ女房と一緒に参加した。
行先は、伊那市の高遠城址の「天下第一の桜」であるが、出発時間は午前零時である。
どうしてこんなに早く出るのだろうかと思っていたが、行って見て成程と分かった。
午前5時頃に伊那市についたが、高遠城の近くまで来ると車で渋滞、公園の駐車場に入ると6時少し前である。
バスから降りると、遠くに木曾駒ケ岳が朝日に輝いている。でも寒い、もってきたモンベルのインナージャケットを着込んで公園に向かう。
500円払って中に入ると、桜が敷地いっぱいに植えられている。
ここの桜は、タカトオコヒガンザクラで、ソメイヨシノより少し小ぶりで赤みのある花を咲である。園内には約1500本以上の桜があり、古くから「天下一の桜」と称されているとのことです。
園内をひとまわりしたが、まだ太陽の日ざしが当たらないので色は冴えていない。
誰が名づけたのか分からないが、天下第一とは「この世に比べるものがない」という意味。
なるほど、ここは桜の花びらの中を歩いているような感じで、どこにでもあるものではない。
7時ごろになると、朝日が差してきた。
青空に薄赤色が映えてきれいだ。
来る前に日経BPの全国縦断、桜名所33か所めぐりに「高遠城址の城の桜は赤い、戦で死んだ武将の血を吸ったから」と紹介されている。
天正10年、織田と武田の戦いで、織田信長の長男、信忠が武田方の領地を攻め立てた。他の武田勢が戦わずして城を捨て逃げ去る中、高遠城主で故武田信玄の五男、仁科五郎盛信は織田5万の軍勢を前に
「このたびの合戦はもはや武田家の最後と存じます。しかるに、敵の旗も見ないうちに城を明け渡しては、わが武名はもとより武田家の名折れ。城を枕に一同討ち死にする覚悟」と戦ったが、10時間の戦いののち、ついに落城、あとには武田勢3000人のしかばねが残った。
「高遠の桜が赤っぽいのは、ここで散っていった3000将士の血と情熱が乗り移っているから」と言い伝えられている。
でも寒い。一行22名、茣蓙を広げて花見とする。て朝食がてらにダベリング。皆さん、同じような年ごろだが、知らない人もいるので自己紹介から。長○川さんとは、会社を辞めて以来10年ぶり再開である。定年後に板前の修業をして、今は山里に”蛍の庵”を開いているという。
川○さんは、海釣りと、釣った魚を酒の肴に開くのが趣味らしい。初めて会ったが一丁目の□□さんは、料理が趣味とのことで、グルメ談義で持ちきり。趣味のない自分は肩身が狭い。
寒いので、横の売店で地酒の熱燗を頼む。なかなかおいしい。名前を聞くと「仙醸」だそうだ。「仙醸」の「仙」は地元南アルプスの「仙丈ヶ岳」からとったそうです。
茣蓙に寝転がって、空を見上げると桜の赤と空の青のコントラストがきれいだ。
9時頃になると園内も混んできたので、茣蓙を引き払って園内を再度散策する。
どこかの本で読んだが、花とは植物のセックスなのだ。桜は今までためた精力をこの時とばかりに一度に発散する。そして子供(さくらんぼ)を造る余力を残してキレイな絶頂期に一斉に花びらを落とす。人々はその生き方にひかれて桜の花に群がる。
ここまで言うと三島由紀夫の美学の世界になるかも知れませんね。
桜雲橋付近が名所なのだろう。カメラを持った人が行列をついている。
何でのこの季節30万人が訪れるという。橋の上では、係員が「立ち止まらないでください。」とアナウンスしている。
今回の花見は天候に恵まれ、今が見ごろ、良かった。南さん、亀田さん、みなさんどうもありがとうございました。
この花見写真30枚は下記に写真集にしてあります。
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