2008年11月29日 (土)
2008年11月26日 (水)
2008年11月13日 (木)
2008年11月 7日 (金)
これでいいのだ!
少し前、私より3歳年上の先輩からいただいたメールの一節中に
「・・・
先般も年賀状予約の連絡を受けもうビックリ。アレもしたい、
コレもしたい、アソコへ行きたい、ココにも行きたい、と考えるだけで
何ら無し得ないうちに、今年もいつの間にか終盤に入ってしまった。
残された時間は少ない。オーイ!誰かブレーキを踏んでくれー!」
という文章があった。
自分には、そんな感覚はないので、この文章が喉に小骨が引っ掛かったようで、なんとなく気になる。
それでは死ぬのが嫌でないかというと、そうでもない。
もう15年も前になる。50歳位のころ、ある開業医の検診で「ポリープがあるので、金大病院に紹介状を書くから診てもらいなさい。」と言われた。
癌ですか、と問い返すと、そうかも知れないがよく分からない、との返事。
金大病院に行くと癌病棟に入れられ、担当医から「念のため、もう一度精密検査をしますが、病気のことは分かっていますね」と念をおされ、これは癌に間違いない、もう何年かの命だと覚悟した。
理性では「人間は誰でも死ぬのだから仕方ない」と思っているのだが、見舞に来てくれた人と話をしていても上の空、いつも気持ちが滅入っている状態だった。
気持ちのどこかで死と対面していて、死ぬのが嫌だったんだろう。
入院一週間後、担当医が来て「西村さん、精密検査の結果ポリープは良性でした。」と言われた。その時、今まで心の中にあった雲が一度に晴れ「バンザイ」と叫びたくなったことを覚えている。
そんな経験をしているのに、死ぬまでに、どうしても何と何をやりたいと思ったことはない。
バカなのだろうか。
話は変わるが、先日日経ビジネスオンライン10月29日号「ポストサブプライム=人類はもっと謙虚になれ、もはや技術や資本も支配できないと」と題した哲学者木田元先生へのインタビュー記事を読んでいると、次のようなことが書いてある。
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