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2008年7月18日 (金)

妄想と現実の間

今日の新聞によると警察庁は秋葉原の無差別殺傷事件でダガーナイフの所持を禁止したそうだ。

秋葉原の事件に限らず、最近無差別殺傷事件が多く報道されるようになっています。
世の中では、これは大変な事件だ。その青年は特別の人間であるように言っています。
本当にそうだろうか。

自分にも思い当たることがある。

私は母が42歳、父親が52歳の時に生まれ、父は生まれる1ヶ月前に死んだ。
生まれたときは未熟児で人並みに育ったのは奇跡に近かったらしい。
当然、兄に育てられたが、兄には子ども(自分にとっては姪っ子)が二人いる。終戦直後で家は経済的にも豊かでない。体力も人より劣るコンプレックスの塊のような人間だった。
中学生の頃、兄嫁からはいつも卒業したら就職するように、また、給料の一部を家に入れるように仄めかされた。
母は、それは可哀想だから進学コースに入って勉強し、実際は良いところに就職して夜学にでも行け、また、できれば寮のあるところがよい、家には帰るな、という姑息な手段を授けてくれた。
実際、母の勧め通り、小松製作所の工科学校(3年生の職業訓練校)に入り、夜は定時制高校に通ったのだが、進学コースから就職コースに変えるとき担任の先生より呼び出され、卑劣な奴だというような叱責を受けた。

10代後半、その頃は世間をスネていた。余り勉強もしなかったし、スポーツをやるわけでもない。今でいうニートに近い心情だった。
時々、ライフルを乱射したり、ナイフで無差別殺傷をしたらどんなに気持ちがスーとすることだろうと思ったことがある。
そんな気持ちが起きたとき「それはいけないことだ」というもう一方の自分が現れる、自分自身が怖かった。
しかし、実際には、そんな大それたことを仕出かすこともなく、20代に入ると、そういう妄想は起きなくなった。
自分の内なる妄想を実行しなかったのは、母や、叔父さん、自分を可愛がってくれる人たちに迷惑をかけてはいけないという抑止力が働いていたのだと思います。

また、妄想が消えたのは10代の心の不安定期を過ぎたこともあるが、自分は、スポーツは下手であるが、真面目に勉強しだすと成績も急上昇し、皆から認めてもらえるようになった。そのことが一番の要因ではないかと思う。

先日、夏至に日に那谷寺で田中優さんの講演会があり、終わった後、宿舎まで見送り少し話させてもらったが、偉い先生なのでどんな話をしていいか分からない。なんとなくとっつきにくい感じだった。

その後、田中優さんの「お金で世界を変える30の方法」という本を読んでいたら、その中にナント自分の若いころの心情と同じこと、が書いてあるではないか。

---------------<ここから引用>--------------------------------

おカネを持っていないことが心を貧しくざせる

 おカネのない暮らしは本当に大変です。ぼくは30年以上経ったいまでもなお、おカネがなかった頃の暮らしを思い出すとぞっとするのです。頼る人もなく、頼ることの苦手だった17歳の少年は、生き続けるためにもがいていました。それはたまたま運よく生き延びたようなものです。病気になって部屋で動けなくなっていたとき、偶然友人が訪ねてきてくれて食事をつくってくれたこと。友人たちみんな失業していたとき、日雇いでカネを稼いだ仲間のだれかにたかって食事をざせてもらっていたこと。それがなければのたれ死んでいたか、罪を犯していただろうと思うのです。もちろんこんな本を出版できる立場にもならなかったでしょう。犬にやると言いながらパン屋でパンの耳をもらい、1個10円で投売りざれているキャベツを買って食べる。煮たり焼いたり刻んだりしながら。それでも決してまじめにばかり生きていたわけではありませんから、だれかを責めることもできませんでした。
 ぼくはまさにいま言われるところの「ニート」だったのです。「ニート」は 「Not in Education, Employment or Training」という英語で、「職に就いておらず、教育も訓練も受けていない人」という意味になります。普通は失業者と同じように呼びますが、この言葉は差別的です。仕事をしておらず、教育も訓練も受けていない人のどこが悪いのでしょう? つまりこの言葉自体が会社に勤めていたり、教育や職業訓練をしていたりしていなければ、社会に適応できていないと決めつけているのです。「会社社会」に適応できなければ、存在すること自体が否定されてしまうのです。
 存在を否定されていることは辛いことです。社会の片隅でのたれ死んでいたとしても、だれも気にかけない存在なのですから。その頃、たとえ罪を犯してもいいから世間をあっと言わせたいと仲間で話し合っていました。そんな心理状態に陥ってしまうほど辛いのです。人はそもそも同じではありません。いろんな人がいるのに、すべての人を「会社人間」にしてしまうわけです。しかし「会社人間」になれない人もいるし、条件的に無理な人もいます。そうしなければ落伍者とされてしまうのです。その後ぼくは、曲がりなりにも大検に合格し、夜間の大学を卒業して就職したわけですから、今は「会社人間」に適応できたのかもしれません。しかし、いまになっても自分が社会に適応できている自信はありません。

---------------<引用終わり>--------------------------------

この文章を読んでから、田中優さんが急に身近な人のように感じました。
人は見かけによらないものですね。

秋葉原の事件に限らず、若いころに無差別殺傷の妄想を抱くことは特別のことではない。要はそれを実行に移すことに対する抑止力が働かなくなった、というところに問題があるような気がします。

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