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2008年4月30日 (水)

もう田植えだ

今日は暑い日だった。梯川堤防沿いにひと回りすると、もう田植えが始まっている。

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 富山県では「登熟期間の高温による品質低下を防ぐため、『コシヒカリ』の出穂期が8月5日ごろになるよう、『5月10~15日を中心とした田植えの実施』を基本的な技術として推進している。」といっている。
 県の指導は、富山県は徹底するが、石川県は放任です。
これも、県民性でしょうか。

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2008年4月23日 (水)

ぬく森の湯

今日は富山県南砺市城端で仕事。
天気がよいので、いつもと違うコースをとった。
金沢より、金沢大学角間キャンパスを通り抜けて、犀川ダムの横を通って山越えで城端へ向かう。
犀川ダムまでは、立派な道路ができているが、そこから先は車1台がやっと通るような山道、道の横は谷底が見えないような絶壁、正直言って怖かった。
山道を越すと富山県側に出て、また立派な道になる。

Dsc05331 富山県側に入ったところに「ぬく森の湯」がある。
景色がよい。温泉のお湯の臭いが外まで漂う。ここには、北陸最大の露天風呂があるそうだ。
残念ながら、仕事のため入ることができない。

帰りに、寄ろうかと思ったが、また山道を通るのがいやなので、今度は、比較的道のよい刀利ダムを通って帰ることにした。
ところが、刀利ダムまで来ると、冬期間通行禁止が解除されていない。何でも26日頃に解除されるとのこと。
また、引き返して国道304号線を通って帰った。

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2008年4月19日 (土)

越前、越中、越後 その2

2月で書いたブログ「越前、越中、越後??」で「越」のいわれについて、思いつきで記載し、ある方より「いい加減なことを書くな」とコメントをいただき恥いっていましたが、心の中にひっかかりが残ったままでした。

先日、ある人より4月19日に那谷寺で平成神道研究会20周年地方開催シンポジュウムが開催されるがチケットを買わないかという案内が来ました。
見ると「自然と生きる環境生命文明」というテーマで、哲学者の梅原猛先生と、越の記事のもとを書かれた環境考古学の安田善憲が出席される。

これは、よい機会と思って、今日、参加させてもらいました。
シンポジュウムのなかでは越にいての話は少し出たがあまり詳しい話はなかったので、シンポジュウム終了後、安田先生の所に行って個人的に質問すると、快く答えてもらえました。

先生の答えは、
『富山県のことを「越」と言う。越中富山、越前、越後。越とは、長江文明の担い手が、ボートピープルとなって逃げてきた所だろう。越中の越は呉越の越だ』
といこうとでした。

どういうことかというと、越の国は稲作漁労民で、文明としては玉(ヒスイの一種)を大変に大事にする。稲作漁撈民にとって、天と地の交流と結合が、豊饒性をもたらす最も大切なことがらであった。玉はや山からとれる、漁労民族としての越は山を崇拝し、そのシンボルとして玉を宝とした。
越人は、玉を探して日本海を渡り山に分け入った。立山や姫川辺りでは、今でも玉の原材料がとれる。
始皇帝本紀には「楚国、越国を滅ぼす」、始皇帝の『越絶書』には「外越と内越がある」と書いてある。内越とは中国大陸にいる越で、外越とは東海の彼方にいる越だ。即ち、現在の富山県周辺らしい。
今から、4000年前に大変大きな気候変動があり、金属製の武器を持つ漢民族が南下し、玉のような高度な文明を持つが、金属製武器を持たない長江文明が攻め滅ぼされ、呉越人はボートピープルとなって、日本はじめ各地に逃れた。
ということらしい。

なお、シンポジュウムは、白山信仰・立山信仰に関するものでしたが安田先生の意見は、これらの山岳信仰は、越人が数千年前から玉を探して白山や立山奥深く入っていたという土台があった。1700年前頃から数百年地球の温暖期に当たり今より1.5℃位気温が高かった。この時期に泰澄和尚や行基和尚が出て白山に登り、一気に白山信仰は開花したのではないかということでした。

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2008年4月17日 (木)

円空

哲学者の梅原先生が那谷寺に来るという。
随分前、題名は忘れたが、梅原先生の日本人の魂の源についても本を読んで今でも心に残っている。
この機会に何か読もうと思って「歓喜する円空」を買った。
 その道の専門書で難しい本である。この本にでてくる円空の仏像を見たことがないのでよく分からない所もある。
しかし、無塚しい難しいところは飛ばして最後まで読んだ。

円空は、今から400年くらい前、美濃の生まれである。今でいう妾の子で、子どもの頃よりいじめにあう。
そんな関係から出家し修業し名声をあげた。
円空の仏は当初写実調であったが、名声を上げたのち前衛的な仏像に変わった。
現代の仏像と比較しても最先端を行っていると評価されている。
どうして、こんな仏像が彫れるのか?

その答えは、本の最後の方にあった。
円空は、妾の子、小さい時から母以外、誰からも受けいれてもらえなかった。
実世界で満たされなかった理想を、仏像の中で実現した。
全国に1千体以上あるといわれている円空の仏像は、円空の心の叫びなのだ。

梅原先生が、円空の生涯を研究し、この本で長々と紹介しているのは、そのことを言いたかったのだろう。

今度、旅行にいったら是非円空の十一面観音を見てみたい。

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2008年4月 6日 (日)

木場潟の桜並木

今日は、絶好の花見日より。木場潟に行ってみました。潟の遊歩道に沿って1000本のソメイヨシノが植えられています。

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