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2008年3月15日 (土)

ほめること、けなすこと

3月12日日経オンライン 竹中正治氏の記事「褒める米国、けなす日本」にこんな記事が出ていた。

--------------------< ここから引用 >-----------------------------

2003年、米国ワシントンDCに赴任し、DCに隣接するメリーランド州のカーディーラーで自動車を買った時のことである。購入してから2~3日後に自動車メーカーから顧客満足度アンケート(Customer Satisfaction Survey)にご協力くださいと電話がかかってきた。販売店のサービスに対する購入者の満足度を調査するものである。

 諸項目について「素晴らしい(Excellent)」「とても良い(Very Good)」「良い(Good)」「普通(Fair)」「不満足(Unsatisfactory)」の5段階評価で選べと言う。普通に満足していたので「とても良い」と「良い」を中心に「素晴らしい」も少し交ぜて回答した。

 1~2週間してから、販売店の営業担当者から私に電話があり、「買った車に何か問題がありますか?」と聞かれた。「問題ないよ。新しい車を楽しんでいるよ」と答えると、「それじゃ、満足度調査でどうしてあんなに悪い評価をくれたのですか?」と言う。

 「悪い評価なんて回答してないよ。おおむね“とても良い”と“良い”で答えたよ」と言うと、「あんた! そりゃひどいスコアってことだよ」と愚痴られた。「素晴らしい(Excellent)」以外は「問題あり」のバッドスコアなのだそうだ。

 だが、日本人はよほど感動でもしない限り「素晴らしい」なんて言わない。

 これは顧客満足度調査に限った話ではない。学校で先生が生徒を指導する時も米国では「Excellent! Great! Perfect!」の連発である。ゴルフ練習場でもお父さんが小学生の息子にクラブを振らせて、ちょっとでもボールが前に転がれば、「Excellent! Great! Perfect!」を連発している。日本人だったら上手にできても「よくできた(Well done.)」でおしまいだ。

・・・・・

日本が今日直面している1つの問題は「危機感駆動型アプローチ」の限界それ自体なのではなかろうか。危機感駆動型の限界は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことにある。
アプローチを切り替えて希望駆動型にシフトし、個人レベルでは各人の弱点を強調、矯正するよりも、強みを伸ばす姿勢を取るべきではないだろうか。

--------------------< 引用おわり >-----------------------------

全く同感ですね。

昔だったら、お母さんは子どもに「勉強しなさい、いい大学に入れないよ。」
という。今、そんなことを言ったら不登校になってしまうかも知れない。

けなすときに有効なのは、ハングリー精神がある時、ケナされても何くそという気持で、それが次につながる。
飽食の時代は、褒めることが次の行動になる。

我々の年代では、頭では分かっていても、どうしても行動に出ないですね。

自分の女房に、事あるごとに「夕食美味しかったよ、ありがとう」「愛しているよ」といえばいいのだろうが、なかなか言えないですね。

昨日3月14日はホワイトデー、バレンタインに子供達からはチョコレートをもらっているが、女房からはもらっていなかったが、お返しを余分に買って「いつもありがとう」と言って、女房にも渡した。
こちらよりも、向こうの方がテレている様子だったが、満更でもなさそうである。
なんとか、これをその契機にしたい。

ところで、話は違うが、「エッセー」とか「ブログ」というのは所詮は自慢話である。
「自分は、こんなことを知っているよ」と言っているのであって、特別興味のあること以外は、読む相手は「相手の自慢話」を読もうという気にもならないものだろう。

しかし、相手の人を動機づけるには「褒めること」が重要である。
書いた相手が友達やよく知っている人なら一応読んで「これはよかったよ」とほめてあげるのがエチケットだろう。

私は、以前に勤めていた会社(学校)の同期仲間とブログではないが、ブログのような内容のものをメールによりやりとりしています。
そこで感じることは、相手のメールに対するレスポンスが大変うまい人がいますね。
その人は、このへんの機微がよくわかっているのでは。
多分、その人は自分の奥さんや周りに人に対しても褒めるのが上手くて、周りから好かれているのではないでしょか。

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