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2008年2月 2日 (土)

越前、越中、越後??

以前から「自分の住むとろは加賀、福井県は越前、富山県は越中、新潟県は越後と呼ぶがどうしてだろうか」と不思議に思っていた。
富山は立山連峰などの峠のようになっているので越なのかと勝手に想像していた。

環境考古学の安田喜憲教授の記事をみていたら、当地方の地名のいわれにハッと気づいた。

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出展 2008.12.28エコジャパンインタビュー記事より 

安田先生によると、紀元前400~紀元後100年、中国長江流域にいた「呉」「越」などの稲作漁労民族民が、「漢」など黄河流域からやってきた畑作牧畜民に追いやられてボートピープルとなった難民が、各地に広がり、稲作漁労文明を根付かせた。

その一部が日本にやってきた。日本海側にやってきたのが「越」、九州地方にやってきたのが「呉」で、邪馬台国は「呉」の流れをくむらしい。

 ⇒ 安田先生の「縄文人の起源」のページ

日本海側では、7世紀、越中国の政庁は高岡市伏木に置かれていた。
それで、富山地方は「越中」なんですね。

納得!

ところで加賀の名前はどこからきたか。
全国に「加賀」「敦賀」「滋賀」「伊賀」など「賀」のつく地名は沢山ある。
語源探索によると、「賀」とは、盆地や周りを山で囲まれた川の流域を言うらしい。

ひとつ利口になりました。

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コメント

「越前、越中、越後??」読んでの感想を述べますと時代的に少し「あらっぽ過ぎるので」紀元前400年から紀元後600年となれあば五百年から一千年の開きがありますので、やはり日本国では文字が出てくる時代から始めて歴史学が成立するので、考古学と混同するのはドーカと思います。
 4世紀半頃、ヤマト政権が日本を支配するようになって、「越の国」または「高志の国」「古志の国」と文献に見られます。北陸道を都が近畿地方の中心部であったので中心部からながめると、所謂手前が越前、中央が越中、ドン尻最後尾が越後と呼ばれたのは690年頃以降です。全体を加賀の白山、越中の立山、駿河の富士山は近世の話であり、古代の都人とは白山を「越しのしらやま」と敬い白山信仰につながっていきます。当時は未だ加賀の国が立国されていませんでした。新潟の地酒も「越乃寒梅」?であって、「越後寒梅」とは言いませんし、故人のシャンソン歌手こーちゃん事「越路吹雪」の「越路」は北陸三県(福井、石川、富山)プラスの新潟県に通ずる地域・地方の街道をさしていると思っています。この「越の国」の中には能登の国もふくまれており、越後は今の新潟県プラス出羽の国、越中は富山県とほぼ同じく、越前は今の石川県(能登地方、加賀地方)と、若狭国を除く今の福井県のエリヤでした。
時代は下って718年に能登国が越前から独立して立国され、823年に加賀国が越前国から独立して全国的には最後の国として立国されました。普通の石川県人の歴史観では加賀百万石意識が過剰に刷り込まれており、江戸時代は富山藩(富山県)は加賀藩の支藩扱いであったり、かっては金大は一期校で富山大は2期校と金大が優越しているような感覚が石川県、富山県民の双方にあったし、現在の能登地方と加賀地方と比較すると加賀地方が先進地方と多数の県民は思っている。しかし古代は加賀国は能登国より後進国で、越中国は能登国より、更に古く先進国であったし、事実、歌人の大伴家持は越中国や能登国の国司に派遣されている。加賀国の名前にしても当時の朝廷が「輝く国」「かぐわしい国」の意味で加賀となったという説が一番の有力説であり、賀の付くのはその他に佐賀、甲賀もあり、賀だけの意味だけで言うと加賀の加は何を意味するかが、むしろ重要になってくる。も賀は正月を賀する事を賀正というようにおめでたいことを賀する、つまりおめでたいことを賀したり、加えたりのめでるという意味でかがやくの加賀の方が有力だと思う。また呉の国が邪馬台国といっても、邪馬台国の近畿説も有力であるし、邪馬台国以外の九州地域に呉の国のいわれの県は何処かも私は知らない。「呉越同舟」というように呉と越は中国本土では敵・味方であったが、何らかの事情でボートピープルで相乗りしてきて日本に着たが、居住地は北陸と九州に分かれた理由はさっぱり解らない。環境考古学で推し量るだけでは歴史を語るのには無理があると思う。

投稿: koetoshi | 2008年2月13日 (水) 21時16分

コメントどうもありがとうございました。
このコメントに対するお応えは、下記ブログ「越前、越中、越後 その2」で書かせていただきます。
http://nsweb.cocolog-nifty.com/diary/2008/04/2_7482.html

投稿: がまがえる | 2008年4月20日 (日) 09時31分

初めまして!
越後越前について調べていて、こちらへたどり着きました。
早速ですが、越後の方が地図上で上の方の場所にあるのに、
なぜ越後と言うか知っていましたら、教えて下さい。
宜しくお願いいたします。

投稿: ruruka | 2009年1月 9日 (金) 19時13分

rurukaさん
ブログ見ていただいてありがとうございます。
推定ですが、越前、越中、越後という国名をつけたには大和の人だった。
大和の方角からみて、越中富山の前が越前、後ろが越後ということではないでしょうか。

投稿: がまがえる | 2009年1月 9日 (金) 20時34分

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