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2005年3月31日 (木)

猫アレルギー顛末記 その8

 我家では、女性の方が活発である。 長女は、短大卒卒業後、努めていた職場をやめてアメリカの大学に留学、卒業後日本に帰ってきたが結婚する様子が見えない。
未だに結婚より仕事がいいといっている。

長男は、地元がよいといって大学卒業後北陸ジャスコに就職したが、数年前ジャスコの合理化で全国統合されてしまった。 お陰で全国の店舗を転々と回る転勤族になってしまった。
今回の自分の猫アレルギーの問題で、地元に帰る気がないか問い合わせたところ、自分の子どもの将来を考えると転勤族よりも地元がよいといって帰ってくるとの返事。
先週、息子が会社を退社し京都から自宅に帰ってきた。
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これにあわせて、自分も昨日、一昨日の2日間でレオパレスを引き払い自宅に帰った。
元々2我家は所帯住宅として建てたものだが、2階は空家に近い状態になっていた。
ここに我々老年夫婦が入り、1階は息子(近い将来は息子夫婦の予定)が猫と一緒に住むということになった。

帰った感想はやはり、自宅がよいの一言。
何が一番よいかというと食事の面である。
ある人に言わせると「1人で食べるのは食事ではなく餌をとることである。食事とは家族や仲間と一緒に文化的な面を含めて食べることをいう。」ということであったから、自分はここ8ヶ月食事を取ってこなかったことになる。
また、1人では、栄養に偏りが出てしまう。 
外食は脂分が多く中年には向かない。
一人で炊事をしたが、スーパーに行くと1人用の食材は売っていない。大抵は2人用である。2人用の食材を買って料理を作っても、2食続けて食べれたものではない。捨てるのがいやで、ついつい食べてしまう。
アパートにいると、1室しかないので、ついつい横に置いてある菓子類に手が出て間食をしてしまう。
あれやこれやで、体重が生活習慣病の危険域を超えてしまった。

その点、自宅はよい。食事の栄養バランス・量も行き届いている。 居間とダイニングが分かれているので間食も少ない。

気がかりは、長男に地元でよい仕事が見つかるかどうかである。

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2005年3月21日 (月)

オオイヌノフグリ

 今日は雲ひとつないよい天気。久しぶりに木場潟を一周してみた。天気はよいが風はまだ冷たい。カモの数は半分位に減っている。大部分はもう北の国へ帰ってしまったのだろうか。

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 潟のあちこちに紫の小さな花が群生している。何という花か帰って調べてみたら「オオイヌノフグリ」というそうだ。何でも「実が犬の陰嚢に似ているから」名づけられたそうです。

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2005年3月18日 (金)

猫アレルギー顛末記 その7

今月で、レオパレスを引き払い自宅に帰ることにしたが、振り返ってみると昨年の8月以来8ヶ月単身生活をすごしたことになる。
最初の頃は、ものめずらしさもあって単身生活もよいものだと思っていたが、そのうちの食事・洗濯など億劫になってくる。 仕事に関しても資料がないことやFAXの受・発信など何かと不便だ。特に、風邪を引いたときや体調の悪いときは心細く惨めだ。
理屈では仕方がないとわかっているのだが、時として、何で猫様が自宅でのうのうとしていて、自分が外でこんな苦労をしなければならないかという思いがこみ上げ腹が立ってくる。そんなとき、女房や娘から電話がかかってくると、つい当り散らしてしまう。

こんな状態では家へ帰れない、何とか自分の気持ちを落ち着かせようと思っていたときに、ラジオの私の本棚で向井承子筆「犬にみとられて」の朗読が入ってきた。
早速買って読んでみた。骨粗しょう症で特別介護を要する筆者の母が犬のゴン太のおかげでしぶみかけた命をもう一度温めた様子や、老犬となって椎間板ヘルニヤを患ったゴン太に大学病院で特別の手術をしてもらうなど人以上の扱いをする動物好きの人の気持ちがよくあらわされている。

しかし、気になる場面もある。筆者が、大学病院の手術室にゴン太を残して外を出たと時の場面
「ゴン太を残して病院を出る前に洗面所を借りた。病院の裏側と教えられていったん正面玄関を出てから建物に沿って曲がると、何頭もの犬たちの声が聞こえてきた。見ると、小ぎれいに整えられたペット対象の病院内とはまるで違う雰囲気の、明らかに実験動物の飼育場を思わせる倉庫のような建物から聞こえる声だった。ゴン太のことばかり考えてきた頭に、瞬間、水を浴びせられたような気がした。・・・」

同じ犬でもペットは人と同様、あるいはそれ以上に大事に扱われ、そのほか犬は単なる動物として扱われるという事実。 自分の家は犬ではなく猫であるが、同様のことをしている。

人も動物も、同じ生を受けて死ぬまでの命の大切さには変わりはない。
しかし、人間の身勝手さで、人間の命は尊ばれ、動物の命は軽んじられる。そして、ペットとなった動物は人間と同じく、あるいは人間に以上に命が尊ばれる。

これが現代、自分は、その事実を素直に受け入れなければならない。

 本の紹介↓

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2005年3月16日 (水)

伊賀の国

 14日、15日と三重県のある市のISO14001内部監査員養成研修のお手伝いをさせてもらうことになり行ってきました。
DSC0252313日は移動日ですが、日曜日なので早めに行って、あちこちと散策しようと思って出かけた。 3時ごろ、上野シティーホテルに到着、市内を少し歩いてみたのだが、昔のままの古い町並みが並ぶ、町のあちこちに酒屋さんと、和菓子、漬物屋さんがある。金沢の武家屋敷や東山をあるいているのと同じような感じを受けた。さすが歴史ある街だ。
写真は、伊賀上野城、藤堂藩のお城です。生憎、途中から、雪の降ってきて寒くて散策は早めに切り上げた。

仕事の方だが○○市は、昨年、1市5町が統合され、新しい市としての統合環境マネジメントシステムを構築しようと取り組まれている。その一環としての内部監査員研修でしたが、参加者にはもう5年もISOに取り組まれている旧市・町の方や、ISOをやったことのない旧町の方もいて、かなりばらつきがある。 どこに焦点を当てるかに苦労したが、だからこそ、そこにやる意義があったようにも思いました。

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2005年3月 8日 (火)

猫アレルギー顛末記 その6

 その後、京都に赴任している息子も今月中に、退社して地元に帰ることになり、猫の面倒もみてくれるとのこと。もともと、その猫は息子がもと込んだものだが。
これで、レオパレスを引き払い自宅に帰ることができる。息子よ、ありがとう!
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所が、今月に入って風邪をひいたようだ。熱はないが、体がだるい。そのうち左手がしびれてきて、痛くて夜も時々目が覚める。
喘息でお世話になっている内科の先生のところに行ったところ、これは首の神経から繰るもののようだから整形外科に行きなさいという紹介を受けた。

整形外科でレントゲン写真を撮ってもらったところ、頚椎の左側軟骨の一部が磨り減っていて、左手の神経を圧迫しているのが原因とのこと。
薬と、週1回、首をもと上げるビハビリを続ければ殆ど方は治りますといわれた。
薬を飲んで4日目、左手の痛みは薄らいできた。
どうして、こんなことになったのだろうと自問自答してみる。
・自分は15年前くらいから、左耳は神経性難聴で聞こえない。
・そのため、はなしを聞くときに、いつも左に顔を傾けがちな姿勢をとってきた。
このことが、原因だろうか。
それにしても、色々と故障が出てくる。 誰でも60歳を過ぎると、身体の色んな障害が一度に出てくる、とは聞いていたが、このことだろう。

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