2024年11月12日 (火)

高知から室戸岬への小旅行 その2

高知駅に着くと11時50分、昼食の時間はないのでコンビニで弁当を買って12時15分発の奈半利行きの電車に乗った。


ここからは室戸観光である。
奈半利からバスに乗りかえ2時間30分程度で室戸岬に着く。

21-tizu

 

バス停から2分ほど歩くと室戸半島の最先端、室戸岬に着く。ここからは日の出と日の入りの両方がみれる。

22-241109150541114

 

室戸岬から国道55号線を10分ほど歩くと、四国遍路第24番札所への登り口がある。

 23-241109151731645   

 

明星院御埼寺は標高160mの山の上にある。遍路道は整備されているかキツイ登り道である。途中で白装束のお遍路さんに出会う。お遍路さんはこんな道でも歩くのか、感心する。

24-241109162957699      

 

山道を登り切った所に山門があり、山門を抜けると明星院御埼寺がある。

25-241109155805960 

 

山門から中に入ると参拝者がかなりいる。スカラインの方から登ってきたお遍路さんである。
見ていると、納札箱に写経をおさめ、賽銭をあげる、合掌し静かに読経する。どの人も皆同じ手順で参拝している。何の準備もしたいない自分が恥ずかし気がしてきた。

26-1-241109155858739

26-2-241109162032165

 

明星院御埼寺の後は、海岸方向に歩いて5分ほどの所にある室戸岬灯台に行く。

27-241109155147221

 

山から下りて宿泊先の岬観光ホテルに着くと、丁度5時でした。
岬観光ホテルは、かなり古いホテルですが、食事や対応は丁寧でした。

 

11月10日(日)

ホテルの窓から日の出が見える筈なのですが、この日は曇っていて見えない。

28-241110062509176 

 

朝食を済ませて、8時にホテルを出発する。
ホテルの直ぐ近くに「御厨人窟(みくろど)」がある。

29-1-241110084519971

 

波の力によって削られた洞窟ですが、1200年前弘法大師(空海)が修行した所である。弘法大師はここで難行苦行を重ねて虚空求聞持法を修められ三教指帰の悟り開かれた所と伝えられている。

 法性の室戸といえどわが住めば
 有為の波風よせぬ日ぞなき   空海

このような洞窟は、近くに3か所ある。

29-2-241110084602906

 

みくろどの後は海岸線に出て室戸岬に向かう。

30-241110085933567

エボシ岩です。

32-3241110085105-093

道の横のアチコチに生えている植物。アロエかと思ったが大きすぎる。リュウゼツランというらしい。メキシコではテキーラの原料になる植物となる外来植物です。

34-241110090210877

月見が浜

35-241110090952794

9時10分に室戸岬のバス停についた。

室戸岬からバスで奈半利駅へ、奈半利から電車で高知駅に着くと12時20分でした。

 

高知から電車で岡山に出て新幹線で自宅に帰る予定であったが、高知駅に着くと瀬戸大橋線で架線が切断し列車が通れないとう知らせが入った。いつ回復するかも分からない。

急遽、高速バスの発車窓口に行ってバスがないか聞いたが、断線の関係で大混雑、直通バスは岡山、神戸、大阪、京都のどれも満席で席が取れない。何かよい方法がないか尋ねると、高松行で高松に行って、高松で乗り変えて京都に行く路線なら席は取れるという。
それで、京都から敦賀、敦賀から小松の最終列車に間に合うか調べると、何とか行けそうだ。
そうするしかない。結局、自宅午後7時着の予定が12時着になってしまった。

今回の旅では、高知では歴史をたどる街歩き、室戸では南国風の自然、そして、ヒヤヒヤドキドキの電車・バスの乗り継ぎ。色々あったが良い経験をさせてもらいました。

何よりも健康に感謝です。

 

| | コメント (0)

高知から室戸岬への小旅行 その1

6日は東大阪、7日・8日は徳島県脇町で仕事でした。9日・10日は休日になる。折角四国まで来たので、高知と室戸岬を一人旅で廻って帰ることにした。
8日の晩は阿波池田で宿泊、宿屋の主人にどこか夕食をとるところがないか聞いたところ、近くの商店街の中にある居酒屋“和楽”がよいとのこと。

”和楽”の中に入ると地元の常連客が7割位で埋まっている。隅の方に席をとって生ビールに芋焼酎のお湯割り、おつまみのブリの刺身とアボガドの天ぷらを頼む。ブリは瀬戸内海産らしく脂がのっていていてうまい。
6日・7日の晩は移動と次の日の仕事の準備で時間がとれず、まともな食事とっていない。
お陰様で仕事の疲れが吹っ飛んだ。

01-241108193651753

 

11月9日(土)

朝早く起きて、旅行用の身なりに着替えて出発、7時6分発の南風号で高知に向かう。

高知には8時18分に着いた。高知駅のコインロッカーに仕事用のキャリーを預けて市内観光に出かけた。

02-241109084004632

 

高知駅前をまっすぐ15分程歩くと“はりまや橋”に着く。小さな木製の橋ですが、丁度工事中でよく見えない。

橋のたもとに坊さんの像があるが、これは、よさこい節の“土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た”から来たものだろうか。

この歌の坊さんは実在していた。坊さんは、鋳掛屋の娘・お馬と恋仲になっていたが、かんざしを買った所を見られて噂になり、寺の戒律を破ったことで追放された。その後、駆け落ち、逮捕、二人は別々の場所に追放され二度と会えなかったとういう人情物語です。

02-241109091945535

 

はりまや橋からせせらぎの横を通る遊歩道を通って高知城にむかう。

地図をもって街をぶらぶらしている旅行者に所々で出会う。
中央公園にさしかかったとき「能登半島地震差異が義援金・・・」とかいた垂れ幕が張ってある。今夜開催のライブの準備中である。
こんな遠くの人も応援してくれているんだ!

04-241109093302040 

20分程歩くと高知城公園に着く。

 

高知歴史博物館に入る。

05-241109103958920

 

高知県の歴史や土佐藩主の所持品が陳列してある。和紙の作り方やビデオもある。
平安時代の土佐は流刑地の一つであったらしい。紀貫之は国主として赴任していた。その時に書いたものが“土佐日記”で、その展示もある。それらにからんで和紙の作り方の展示もある。

幕末維新期は土佐勤皇党、坂本竜馬、中岡信太郎の活躍も有名でビデオ解説もある。

閲覧コースを一回りして約30分

そういえば、高知駅前には、3人の銅像があった。

06-241109084134431

 

歴史博物館を出ると、すぐ前に高知城がみえる。

ここから、高知城の天守閣まで歩いて登る。

07-241109100551106

 

お城の周りの曲がりくねった階段をのぼって天守閣の入口まで行く。入口で入場料を払って中に入る。

08-241109104136357  

 

中には城の模型や所持品が展示されている。

09-241109105825137

 

 天守閣の頂上に登ると、高知市内の四方八方の眺めが見える。  

10-241109110331777

11-241109110447407

 

高知城の見学のあとは、町中をぶらぶら歩いて高知駅にむかう。

高知の町の通りは、大きな道路を除くと遊歩道のようになっていて、両側に店が並ぶ。ぶらぶら歩くには丁度良い。高知市内観光の人気が高い理由が分かったような気がした。

高知駅に着くと11時50分、昼食の時間はないのでコンビニで弁当を買って12時15分発の奈半利行きの電車に乗った。

(その2の続く)

| | コメント (0)

2024年10月18日 (金)

妙高高原トレッキング

1016日は新潟県弥彦で仕事でした。仕事の後、柏崎に泊まって17日は妙高高原に出かけた。

7時にホテルを出で、直江津で乗り変える。えちトキめき鉄道の直江津812分発妙高高原行の電車は4両編成あるが学生の通学列車のようで満員でしたが高田を過ぎると乗客は段々少なくなり、上越妙高からは自分一人になってしまった。

1_241017084501355

今日は赤倉から苗名滝までの妙高高原自然歩道の、いもり池から苗名滝まで歩く計画だ。

標準時間は2時間30分。

2_myoukou

917分に妙高高原駅に着き、仕事の服装や道具一式はコインロッカーに預けて、930分発の市営バスに乗る。ここでも乗客は自分一人だけだ。

950分にビジターセンターに着く。ここからいもり池に入る。

3_241017100308301 

このあたりは湿原で池の周りに遊歩道ができている。一周20分程度、車で来る人もかなり多い。4

池の向こうに見えるのが妙高山ですが、あいにくガスがかかって山頂は見ない。

5_241017100105977

 

いもり池を一周した後、苗名滝への遊歩道に入る。杉の木やブナ、白樺の中に舗装した道ができている。しかし、誰も歩いていないらしく落ち葉で埋まっている。

熊との遭遇が怖いので熊よけ鈴を鳴らしながら歩く。

この辺りは、山の中にコテージが所々にある。コテージに沿って分かれ道が何本かあり、いつの間にか自然遊歩道の標識のない道に迷い込んでしまった。

6_241017103552411

 スマホを取り出すとこんな山の中でも電波が来ている。Google Map で、「苗名滝」を検索すると案内画面が出てきた。動きはすこしずれているが、その指図通りに歩いていくと遊歩道に出た。よかった。感謝!

7_241017110944667 

ここからは、見晴らしが良いのでもう迷うことはない。

下り斜面の向こうに見えるのは戸隠連山です。

8_241017113600270 

県道280線から苗名滝に向かって関川沿いに黙々と歩く。この道は、トレッキングというよりはウォーキングです。

1230分に苗名滝の駐車場についた。

9_241017122801470

 駐車場から吊り橋を渡ると砂防えん堤に出る。

10_241017123456713 

11_241017123535661

苗名滝は砂防えん堤から山道を登って300m先にある。

降りてくる環境客の団体にあう。スペイン語のようだ。団体以外でもすれ違う人は、日本人より外国人の方が多い。ここは外人に人気があるようだ。インスタグラムで知れ渡っているのかも知れない。

12_241017130245692 

回り山々の景色は紅葉色づきところです。

13_241017123909236

苗名滝についた。

苗名滝は、落差約55メートル「日本の滝百選」に選ばれている。

来る前に見た「苗名滝の秋の紅葉の写真」が素晴らしかったので、その景色を見たいと思ってきたが、来る時期が少し早かったようだ。

14_24101712513866014

15_241017125207835

 

苗名滝の駐車場に戻って昼食とった。

ここから、妙高高原駅まで歩くと約2時間かかる。そんな元気もないので、バスを乗りついで妙高高原駅向う。

妙高高原駅から上越妙高駅で乗り変え北陸新幹線で、自宅に帰った。

自宅に着いたのは午後6時でした。

良い汗をかいた。このところクシャクシャしていた気持ちも晴れてすっきりした。

ありがとうございました。健康にも感謝です!

| | コメント (0)

2024年5月31日 (金)

尾瀬ヶ原に行ってきました

528,29日は六日町で仕事でした。

5時に仕事が終わり、上越線 六日町530分発の水上行きに乗り、高崎行に乗り代えて沼田まで行く。沼田駅に着いたのが7時、ここからタクシーで宿泊先のルートイン沼田に行こうと思っていたが、駅前にはタクシーがいない。仕方がないのでホテルまで歩くことにした。リュックを背負って、仕事道具の重いカバンを引きずって、歩き出してから気がついたが、沼田は“真田天空の城”を看板にしている坂のある街、ズーと登り道が続く、神社の横の階段をハーハー言いながら歩くこと30分、やっとのことでホテルに着いた。

ホテルで仕事の荷物を宅急便で自宅に送って、ハイキングの服装の着替え、翌朝は午前7時のバスで鳩待ち峠まで行く予定だ。

翌朝は、タクシーに朝7時にホテルに迎えに来てもらおうと予約の電話をした。所が、どのタクシー会社もこの時刻は朝の点呼に時間で行けないとういう。またも、予定が狂った。

30日はホテルの朝食は朝630分から、翌朝は630分の朝食の行列に並んで朝食をかけ込んで、また、歩いて沼田駅前に行く、今回は下り坂で発車の10分前についた。

01-1240530083414639_20240531150801

バスの終点の戸倉のついたのが840分。マイカーで来るも多いが、マイカーはここまで、ここからシャトルバスに乗り代えて鳩待ち峠に向かう。シャトルバスと言っても、10人乗りのワゴン車です。

02-240530091946454

鳩待ち峠に着いたのが930分、ここから尾瀬が原のビジターセンターまで歩いて下る。

東京の北区から来たという小学校4年生の団体にであう。

   03-240530092940000

途中の道です。あちこちからうぐいすのさえずりが聞こえてくる。

04-240530101955907-1

ビジターセンターに着いたのが1035分でした。

 

05-240530104322745

ビジターセンターです。

06-240530104140808-1_20240531150801

トイレに行く 寄付ですが1回100円です。

 

ここから、牛首分岐まで行って昼食、周りを散策してまた、ビジターセンターまで帰ってくることにした。

 以下は、歩きながらとった写真です。写真は歩いた順番になっています。

07-240530105819623

いよいよ尾瀬沼にはいる。

08-240530110731236

水芭蕉です。

09-240530110818873

ミヤマキンバイかと思います。

10-240530112729114

沼の傍を通ると ケロケロケロ カエルの鳴き声が聞こえる。

20-240530120539214

風はさわやか気持ちがよい。向こうに燧ケ岳が見える。

 

11-0240530113950969 

牛首分岐につきました。

 12-240530113922762

ここで昼食です。

17-240530121226701

ヨッピ吊り橋の方に行ってみる。

13-240530120811405

14-240530121024005

 

15-240530121116384

スミレの一種らしい。

 

18-240530122821027

ビジターセンターへの戻り道、向こうに至仏山が見える。

 19-240530122904125-1

22-240530123410512  

至仏山にはまだ雪が残っている。

 

ビジターセンターに帰ったので、13時。一休みして、鳩待ち峠に向かう。今度は登り道で標準時間は80分と書いてある。

高齢なので2時間くらいかかるかも知れないと心配していたが、ゆっくり11歩休まずに歩いたら70分で着いた。

まだ、大丈夫だ! 気分もすっきりした。

健康に感謝です。

| | コメント (0)

2024年1月19日 (金)

伊豆大島の旅

1月13日は、東京でウエールズ通信制大学院の新春OB交流会に参加した。一緒に勉強したのは、もう25年前のことでありお互いにシニア・グランドジェネレーションになっている。殆どの方は、まだ現役で頑張っておられ、元気をもらいました。
翌日は伊豆大島へ一人旅。久しぶりに温暖な気候と晴天の下、大島の自然を満喫しました。
 
14日は、朝7時半に浜松町のホテル三交インを出て竹芝桟橋に向かう。竹芝から東海汽船の大島行きジェット船にのる。日曜日なのに船の中は空いている。この季節に大島に行く人は少ないのかも知れない。

Img_01_203416

  
大島までの船旅約2時間、岡田港に11時40分に到着した。駅前で大島バスの2日間切符を買って、そのまま三原山行きのバスに乗った。三原山行きバスには観光案内にアナウンスがついている。大島は約4万年前の火山に爆発によってできた。火山の噴火によって噴出された溶岩が堆積し大島が生まれた。三原山は度々噴出している。「三原」という名の由来は、出産のように絶えず岩や土石流を噴出するということからきている。最近では1950年から51年にかけて噴火したとのことです。

Img_02_204756

 

バス終点の三原山山頂口についたのが1130分。ここは標高556m、ここから三原山山頂758mまで歩いて登る。天気は良く大きな木がないので視界が広く歩いていても気持ちがよい。道の途中に噴火した時に隠れる鉄筋コンクリート製の退避豪は何か所か設置されている。

Img_03_233850-1

 

内輪山の三原神社のある地点まで登ると山の反対側に富士山がくっきりと見える。晴れているが遮るものがないので風が強い。キルティングコートの上に風よけのヤッケを着込んで歩く。

Img_04_005420

 

三原神社に参拝した後、火口展望台まで登る。ここは標高705m、眼下に火口口が見える。地表から湯気が登っている。

Img_05_004458

 

お鉢巡りコースを通って三原山山頂まで登る。バスの時間の関係でここから引き返して、三原山山頂口まで降りる。所用時間約2時間のトレッキングでした。 

 

ここからバスで元町港に出て、元町港から都立大島公園に向かう。元町港から大島公園行きのバスの乗客は私一人だけ、大島公園についたのは1420分である。大島公園には椿資料館、椿園、植物園、動物パークがあるが、出会ったのは管理する職員と観光客は3人だけ、広々とした公園を独り占めにしているような感じである。

Img_06_030312

 

椿園に入ると、椿の園芸品種3200本、自生種のヤブツバキは5000本植えてある。1月~3月が見ごろとのことであるが、椿の花は桜のように目立たない、ひっそり咲いているという感じである。写真は園芸種の八重姫です。

Img_07_024945

 

大島公園散策の後、元町港に帰ってホテル白岩で宿泊した。温泉に入って汗を流してから夕食である。ホテルの建物は洋風であるが、経営は家族で行っているようである。夕食には一般的な料理の他に串に刺した素材を1本ずつその場で揚げて食べる天ぷら、朝食では自家製の豆腐がでた。素朴な感じでおしかった。

 

15日は、ホテルを8時に出て、元町港から波浮行きのバスに乗る。昨日と違って、このバスには、背中にリュックを担いだ一人旅、あるいは2人づれの旅行客が10組ほど乗り込んできた。

途中、地層切断面の前を通るとき、バスが徐行して地層切断面を見せてくれる。地層切断面は、火山活動による火山灰やスコリアの堆積、地殻変動による断層の形成、地球の気候変動による堆積などによってできた。高さ約24メートル、長さ約630メートルにわたる大規模なもので、昭和28年の大島一周道路の建設工事中に偶然発見されたものです。

Img_08_234754

 

波浮港見晴らし台で下車。ここから波浮港が一望できる。三原山とは、また違った美しさである。ここから歩いて、幕末時代の鉄砲場遺跡、龍王崎灯台を見て波浮港に入る。

Img_09_211208

 

波浮港は、明治初期に遠洋漁業の中継港として生まれた町で、町にはその頃の趣きのある通りや建物が多く残っている。この街並みの後に丘の上は登る階段が続き、丘の上には船主の豪邸が並んでいる。

Img_10_223855

 

街並みから横丁に入ったところに、旧港屋旅館があり港屋旅館の中に「踊子の里資料館」がある。

港屋旅館には。与謝野鉄幹、林芙美子、川端康成など多くの文豪たちが訪れ、創作活動を行った。

資料館には、執筆風景や宴会の人形が飾られている。2階の宴会場では、ボタンを押すと笛や三味線の音が流れ、踊り子の人形が動き出すようになっている。

ここに来てみて、波浮の港は、美しい景観と静かさ、そして入り組んだ入江の海賊のねぐらのような場所にいる心の落着きが文豪たちに好かれたのではないかと感じました。

Img_11_224408

 

波浮港を散策した後、11時30分発のバスで元町港へ向かう。途中で火山博物館前に下車、映像や火山シュミレータを見ようと思っていたが月曜日は休館でした。

仕方がないので元町港まで、ぶらぶら歩くことにした。大島は、どこへ行っても椿がある。街の街路樹も椿である。大島椿株式会社大島椿精油所の前を通った。この中で椿油を絞ってマルチオイルやヘヤケア製品を作っている所を見せてもらった。

Img_12_001346

 

元町港の近くまで来ると浜辺へ出る道がある。弘法浜で町民の憩いの場になっている。写真で浜辺の向こうに山のように見えるのは、利島と新島です。

Img_13_002144

 

弘法浜のあとは、元町港のレストランでコーヒータイム。岡田港からジェット船で浜松町の三交インホテルに帰った。大島旅行の服装一式は宅急便で自宅に送る。

 

翌日はスーツに着かえてISO認証機関の新春セミナーに参加してから、16日晩に帰宅した。

充実した4日間を過ごすことができました。感謝!

 

| | コメント (0)

2024年1月 3日 (水)

資本主義の次に来る世界「少ない方が豊かである」を読んで

71geqblroal_sy342_    

今年の正月はゆっくり時間がとれて、ジェイソン・ヒッケル筆“「資本主義の次に来る世界「少ない方が豊かである」”を読んだ。

選んだ理由は、何でもありの世界、どこか狂っているようだ。資本主義も行き詰まりを期たしている。そういう中で「脱成長論」がヨーロッパで脚光を浴びているとのことを知った。

どういうことなのか知りたい。

以下、私が読んだ私なりのこの本の要約です。

-------------------------------------------

この本は問題点編と解決策編に分かれている。問題点編では、問題点では気候変動や生物多様性、格差など色々あるが、これらの問題は関連しているので、気候変動に絞って要約する。2015年のパリ協定では地球の平均気温の上昇を2050年までに1.5℃以内にすることで合意できたが、今のままで行くと3.5℃位になる。その理由として大きな問題が2つある。一つは、パリ協定を締結する際にアメリカ等の先進国の合意を得るためにBECCSを達成方策に含めた。BECCSとは、植林等のバイオプランテーションを実施し、成長過程で大気中のCO2を吸収する、成長した後は燃料として燃焼させ発生するCO2を煙突内で回収し地中に埋める方法である。そうすることで、当分は現状の化石燃料を使用しながらCO2を削減することができる。しかし、これを実行するためには膨大プランテーション、インドの面積の2倍から3倍のプランテーションが必要になる。仮にできたとしても農耕地が奪われ、今世紀中半に90億人に到達すると言われる人口を支えられなくなり深刻な食糧不足を引き起こすので、実現性に乏しい。

もう一つは、経済成長至上主義である。国の指導者や企業は、GDPが年23%以上成長しなければ、経済が回らないと思いこんでいる。仮に世界のGDPが毎年3%上昇する、複利で計算すると23年毎にGNP規模が倍になる。46年後には、経済規模は今の4倍になるということである。どれだけ削減しても、削減量が増加分に追いつかない。

何故このようなことになるか。この根源は、デカルトの2元論「身体と精神は別のものである」という考え方にある。この考え方によると、人間の体、動物、植物、自然、は“もの”である。人間(の精神)はこれらを支配することができる。デカルトの2元論は、資本主義を実践する上での理論的根拠として利用されてきた。

解決策として、人間は特別な存在ではない。人間は自然の一部であるという考え方(アメニズム)に立ち帰ることが必要である。

具体的にどうするかという点について色々の提言がある。先ずは、プラネタリ・バウンダリンーを考慮する。プラネタリー・バウンダリーとは、人々が地球で安全に活動できる範囲を科学的に定義し、その限界点を表した概念で9つの評価指標がある。これはSDGsの理論的根拠になっている。更に簡単に言えばエコロジカルフットである。人口当たりのバウンダリー(使用できる面積)が、地球の一人当たりバウンダリー(面積)の何倍になっているかで現わす。

国別のエコロジカルフットプリントは、アメリカ:5.1、オーストラリア:4.5、ドイツ:3.0、日本:2.9、イギリス:2.9、中国:2.4、インド:0.7 となっている。

エコロジカルフットプリント1.0以上の国は、今以上に、資源の消費を削減することが必要であるし、1.0以下の国は豊になるために資源の消費を増やすことができる。

一方、これまでの温室効果ガスの排出実績の比率は、アメリカ40%、EU 29%、EU以外のヨーロッパ 13%、日本5%で、その他のグローバルサウスの国は中東を含めても13%である。

以上から見ると、アメリカ、オーストラリア、イギリス、EU、日本の責任が重大であることがわかる。

ここで、アメリカを中心に考えてみる。ある調査によるとアメリカの一人当たりの年収が800万円までは幸福感と年収とは比例するが、800万円を超えると年収と幸福感との相関はなくなる。現在、アメリカの一人当たり年収は1300万円である。それでも人々は一生懸命に働き、企業は成長を目指している。一方、アメリカより所得が低いが平均寿命が長い国や教育レベルが高い国が多数ある。この違いは質の高い公的医療制度と教育システムへの投資に関係している。

高所得国は、国民の幸福度(ウェルビーング)に投資しながら、全体の資源の消費を持続可能なレベルに落とさなければならない。

大量消費を止める非常ブレーキ

1.消費を増やすために計画的に商品の陳腐値する(製品寿命を短くする)ことを止める。

2.不要な消費をあおる広告を止める。

3.所有権から使用権(レンタル・シェアリング)に移行する。

4.食品の廃棄を終わらせる。

5.生態系を破壊する産業(化石燃料産業、牛肉産業)を縮小する。

このようなことを実施すると、仕事がなくなることを心配するかも知れないが、余った時間を余暇やリスキングに振り向ける。そのためには、以下のような社会インフラを整備する必要がある。

・富裕税を投入し不平等をなくする。

・公共財(交通機関や住宅など)を、脱商品化し、コモンズ(公共の富)を拡大する。

・「豊かさ」の実感が成長志向の解毒剤となる

・債務(奨学金や高利の住宅ローン)を帳消しにする。

更に、根本的な問題として、デカルトの2元論的な世界観から自然との一体(アメニズム)に立ち帰ることが必要である。

----------------<ここまでが要約です>----------------------

読後感想

タイトルの「少ない方が豊かである」は、かなりインパクトがあるが、読んでみると内容はそれほど過激な内容ではない。しかし、最初に提起された問題“地球の気温上昇を1.5℃に抑える”という問題が、これで解決するかどうかの説明がないのでわからないが、方向としてはそうだと納得しました。

ヨーロッパでは、このような考え方が主流になりつつあるのだろう。

昨年6月「ダボス会議」を主催する世界経済フォーラムが、脱成長に関する手引き書を発行し、投資関係のリポートにもその引用が顔を出すようになっている、とのことである。

https://www.newsweekjapan.jp/mobile/headlines/business/2022/08/402045_1.php

EUの環境政策「サーキュラーエコノミー」「タクソノミー」「商品へのエコロジカルフットプリントの添付」とも方向が一致している。

しかし、アメリカはこれを受けいれるかどうかは疑問である。こんなことをしたらアメリカンドリームが消えてなくなる。猫の首に誰が鈴をつけるかが問題である。

 

| | コメント (0)

2021年1月16日 (土)

牛肉から大豆ミートに変えてみました!

0img_8262

高齢になるとたんぱく質などの栄養を十分とらないと筋肉が衰えてくる。しかし、食べ過ぎると血糖値が上がりメタボになる。そこで、昨年4月に昼食を完全栄養食のBACEFOODのパン食に変えました。栄養があり手軽に食事ができていいのですが、パンは余り美味しくない。
色々食べ方を工夫したところ、電子レンジで40秒ほど温めてジャムやハム・チーズなどをつけ、ミルクと一緒に食べるとおいしく食べられる。

昨年11月末に長寿検診を受けた所、これまでなんともなかった動脈硬化の原因になるLDLコレストロールが高い。
どうしてだろうと考えると、運動は十分しているのだが、昼食をBACEFOODに変えてから肉や牛脂肪の多い物に変えたこと、夜は、またアルコールと動物脂肪の多いつまみだけで、ご飯は食べない。
食事を変えなければならい。でも、BACEFOODはやめたくないし、お酒はやめられない。
植物性タンパク質を含む食品は、動物性の食品と比較してエネルギー量が抑えられるため、量をしっかりと食べることができる。動物性食品から植物性食品に切り替えればよいのだ。

» 続きを読む

| | コメント (0)

2019年9月 8日 (日)

北海道の旅 その2 利尻島

 9月8日(日)
千歳空港12時55分発の飛行機で利尻島に向かう。利尻島までの所要時間が50分である。
利尻島は稚内より東に50㎞、北にはロシアサハリンまで100㎞にある。
日本最北の国立公園「利尻礼文サロベツ国立公園」の中にあり海・山・花・湿地など美しい自然が見どころ。

Map_rishiri_20190915202501

空港に着くとホテルと観光タクシーの関係者が出迎えに来てくれた。
島を一周すると60㎞でサイクリングの方がよかったかも知れないが、今回は団体行動なので、ホテルの車に荷物を預け、我々一行は8人乗りのジャンボタクシーで、9月8日午後と9月9日午前中に渡って利尻島を案内してもらった。

 

» 続きを読む

| | コメント (0)

北海道の旅 その1 札幌

9月7日(土)
 20年程前、英国ウェールズ大学通信制大学院日本校の環境学部で学んでいた。殆どの学生は私と同年代の社会人でした。
その時のスクーリングの先生を中心に有志でOB会が結成され年2回程度勉強会と懇親会を続けている。但し、私の出席率は50%程度です。
今回は、OB会会長のKさんの生まれ故郷の北海道宗谷地方利尻島を旅することになった。

Img_7966_20190915193301

 

» 続きを読む

| | コメント (4)

2019年8月 3日 (土)

大分県の旅 その3 玖珠の里山・湯布院

朝の散歩で里山の風景を存分に楽しんだ。ここは標高が600mほどあり冬は雪が降るという。だから旨い酒もある。

Dsc_0282

農道を登っていくと、どこまでもこんな景色が続き道も色々あるようだ。どうなっているのだろう。

Dsc_0276

下の道に降りて、路に立っていた案内板を見るとこの地は平家山野倉の郷と言って、多くの平家の落人の遺跡がある。

その関係で入り組んだ段々畑が続くのだろう。納得!

» 続きを読む

| | コメント (0)

«大分県の旅 その2 阿蘇くじゅう・豊後竹田