強いものは生き残れない
吉村仁筆「強いものは生き残れない」を読んだ。タイトルが強烈だったが何を言っているのか途中までよくよく分からなかったが、進化論だけではなく生物多様性についても示唆に富む本だった。
「強いものは生き残れない」の理論的根拠は130ページに書かれている。
======================<ここから引用>========================
3つの進化理論の違い
環境変化・変動が自然選択にどのように影響を及ぼすかは、第二部で説明してきた。この環境の問題は、第一部で説明したように、従来の進化理論では、考慮されていなかった。つまり、環境は変化しないという条件で、自然選択がどのように起こるかが研究されてきたのである。
ダーウィンの進化理論は、自然選択理論であり、そもそも、環境という概念が存在しなかったことは第一部の冒頭で述べた。当時は、生物が自然選択により進化することを論理的に説明しようとしていたのだ。
現代の進化理論は「総合学説」と呼ばれており、ダーウィンの自然選択理論を様々な点で発展させている。たとえば、自然選択についても、安定化選択と方向性選択とに分けて考えている。
これは「環境は変化する」という意味を含んでいる。では、私の言う「環境変動説」はこの総合学説とどう違うのか? 適応度の例を考えながら、説明してみよう。
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進化理論 環境 選択 適応度 w 生き残る遺伝子型
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ダーウィン A 自然選択 w(x)>w(y)>w(z) x
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A w(x)>w(y)>w(z) x
総合学説 ↓ 方向性選択 ↓
B w(z)>w(y)>w(x) z
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A w(x)>w(y)>w(z)
環境変動説 ↓↑ 絶滅回避 y
B w(z)>w(Y)>w(x)
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上表において、まず、ダーウィンの進化理論は、環境Aの中で自然選択が起こる。3つの遺伝子型をx、y、zとしてそれらの適応度をwとしよう。このとき、w(x)>w(y)>w(z)と仮定する。つまり、適応度は、xが一番高く、次にy、そしてxが低い。ダーウィンの自然選択理論では、適者生存なので、もちろん遺伝子型xが勝ち残る。
次に、総合学説では、自然選択は安定化選択と方向性選択の2つに分類されている。安定化選択は、ダーウィンの自然選択理論と同じで、環境Aの中で適者xが生き残る。また、方向性選択では、環境はAからBへ変化する。そこで、環境Aでは、適応度はw(x)>w(y)>w(z)だったものが、環境Bでは、w(z)>w(y)>w(x)となったと仮定しよう。つまり、環境Bでは、適応度はzが一番高く、次にy、そして、xが一番低いとする。だから、環境がAからBに変化すると、生き残る遺伝子型はxからzに変化する。生物個体群は遺伝子型zに進化する。
このように、従来の進化理論の枠組みでは、適者(=「強い者」)が生き残るといっていい。
「環境変動説」は、それとどこが違うのだろうか? ひとことで言えば、環境変化の見方が違うのだ。
環境Aと環境Bの両方があるとして、世代によりどちらの環境が来るか分からない。あるいは極端なケースでは、午前が環境A、午後が環境Bと、両方の環境がめまぐるしく変わることもある。こうした時、生物の遺伝子型はxもzも最適でない場合がある。つまり、適応度が1番高くはないyが、絶滅を避けて存続していくことができるのだ。各々の環境で「強い者」が生き残るのではなく、すべての環境で「そこそこ」のyが最後には残るのである。
==========================<引用終わり>==========================
すなわち、環境の変化を考慮すると「強いもの」が生き残るのではなく、「そこそこ」の戦略をとったものが行き残るとしている。
その例として、鳥は育てる余裕があってもヒナを少なめにしか育てない。その理由は目一杯に子どもを育てると、通常の年は繁殖するが、もし環境変化が起きると餌が足りなくなり絶滅に瀕する。
このような環境変化のリスクを避ける方法として生物には色々の戦略をとっている。バクテリアは「多産によって多死をカバーする」は、渡り鳥は越冬にとって「環境変化から逃げる」、植物の種は「休眠する」、森林は群落を形成し「環境条件を変える」、哺乳類は「おなかの中である程度大きくなるまで子どもを育てる」など。
現在、地球上では人間が一人勝ちの状態であるが、人間の強さは共生から生まれている。一人ひとりは弱くとも、お互いが集団として他を思いやることから1の力が数倍になっている。この共生という相互の関係から生まれてきたものが文明で、農業が最初に生まれ医療、学習、科学へと生き残り戦略が進歩してきている。この共生の概念を支えるものが民主主義で個人の利益の最大化を目的とする資本主義は強いものの理論で地球上の生物資源を使い果たし生き残ることができない、ということが筆者の主張のようである。
しかし、この理論には少し矛盾があるように思う。地球史上、現在は第六番目の生物絶滅時代と言われている。
第一の絶滅は4億5千年前 オルビトス紀末 軟体動物の大量絶滅
第二の絶滅は3億5千年前 デボン紀末 魚類の大量絶滅
第三の絶滅は2億5千年前 ベルム紀末 シダの大森林が絶滅
第四の絶滅は2億年前 三畳紀末 アンモナイト・大型爬虫類の大量絶滅
第五の絶滅は6千5百年前 白亜紀末 恐竜類の絶滅
そして、現在が第六の生物の絶滅期である。
COP10によると地球上には3,000万種とも言われる生物が暮らしているが、現在1年間に約4万種のスピードで絶滅している。このスピード恐竜時代の絶滅速度よりはるかに速い。単純計算すると750年で地球上から全ての生物が消えることになる。
第六の生物の絶滅期は、人間が他の生物に対して道具や科学といった圧倒的な力を保有し環境に適応しすぎたためである。
人間が生物資源を喰いつくしている理由は、強欲な資本主義というのもその一つであるが、それよりも人間が、農業、医療、学習、科学へいった他の生物にない力を得たために生態系の枠から外れてしまい地球上の他の生物資源を喰いつくし人口が爆発しているということの方が主要因ではないだろか。これは生物の中で人間が最優先されるという考え方に起因する。これは人間同士の共生といった程度では治まるものではないと思います。しかしながら、人間も生態系の一部で生存競争に組み込まれているのとうい観念は人間の脳幹に本能として組み込まれている。個々人が人間最優先の考え方から離れることは自分を否定することでありできることではない。結局のところ行きつくところまで行くしかないということでしょうか。
この本の筆者の理論から行くと人間は環境に過適応した「強いもの」である。気がついたら、地球環境の急変・生物種の激減で人工的は生活環境を維持できないなくなり、やがて絶滅する。これが強いもののたどる路である。
各絶滅期には、その時期に最適応した生物が絶滅した後には、これまで弱者としてその適応戦略を高めてきたより高度に進化した生物が一気に繁殖している。
人間の後には、どんな生物が繁殖するのだろうか。SF出てくる意思を持ったロボットのようなものかも知れない。
民主主義、人間同士の共生社会を作っても生態系が破壊されてしまっては人間だけが生き残ることはできない。共生とは、人間の間だけでなくこの地球上で生存する全ての生物との共生というところまでいかないと絶滅は避けられないのではないでしょうか。これが本当の「生物多様性保全」ということでしょう。
以上は悲観的な予測ですが、別のブログで紹介したジャック・アタリ「21世紀の歴史」では、2060年頃、超民主主義が誕生して地域連合ができ、その上に地球規模の制度・機構が創設される。そこでは現在の国連憲章を拡大した地球憲法が制定される、と提唱している。
人間は学習する生物なので、そう悲観することでもないのかも知れませんが、いずれにしても食糧危機やパンデミックのような具体的な被害が生じないと考え方が変わらないのかも知れませんね。
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