「21世紀の歴史」から見える日本の課題
あけましておめでとうございます。
昨年は暗いニュースが多かったようですが、年初ですから「日本も捨てたものではない。努力すれば明るい未来がある」というお話を紹介させていただきます。
ジャック・アタリの「21世紀の歴史」は2006年に書かれ金融危機を予言した本として有名です。「21世紀の歴史」については、昨年5月にNHKが緊急インタビューで放映した内容をyou tubeでも見ることができ、これまではこれで代用していたが、この正月休みに本で読み返してみました。
この「21世紀の歴史」と読売新聞1月3日号のジャック・アタリ氏へのインタビュー記事「未来は暗くない」から、私(がまがえる)の個人的は感想を織り込みながら要点を紹介します。
<21世紀の歴史>
この本は6章で構成されています。
第1章 人類が市場を発明するまでの長い歴史
第2章 資本主義はいかなる歴史を作ってきたのか?
第3章 アメリカ帝国の終焉
第4章 帝国を超える「超帝国」の出現-21世紀に押し寄せる第1波
第5章 戦争・紛争を超える「超紛争」の発生-21世紀に押し寄せる第2波
第6章 民主主義を超える「超民主主義」の出現-21世紀に押し寄せる第3波
第1章から第3章までは、紀元前から現在に至る市場民主主義の歴史が書かれています。
この本によると市場と民主主義の結びつきは、紀元前1000年ユダヤ・ギリシャの思想に由来する。ユダヤ・ギリシャの理想とは、世界を行動と幸福を実現する唯一の場であると捉える。このためには、自由こそが究極の目的であり、また道徳規範の遵守ともなり、生存条件でもある。
ここで幸福を実現するということは、現世で欲望を実現するともとらえられる。これはユダヤ教やキリスト教の思想であって、ヒンズー教や仏教では自分の魂から自由になり来世で幸福になることを選んでいる。
欲望は貨幣に置き換えることができる。欲望を実現するためには、軍事力の擁護による安全の確保が必要であり、金融が整っており、自由があり、知恵が発揮でき、港や後背地に農業や工業を持っているという条件が必要である。
この条件にかなったところが中心都市で、産声を上げたのがイタリヤのブルージュであり、その後ヴェネチィア、アントワープ、ジェノヴァ、アムステルダム、ロンドン、ボストン、ニューヨークへと東に移動し現在はロスアンジェルスに辿りついている。
これらの中心都市が衰退した理由は、繁栄で気づかないうちに進む傲慢さによる高コスト社会、バブル発生・崩壊による金融機関の破綻、戦争や地政学的変化といった偶発的な出来事などである。
2008年アメリカのサブプライムローンを発端として世界的な金融バブルが崩壊した。2006年名書かれたこの本には、中心都市「ロスアンジェルス」の中で、このことを予測した記述がある。しかし、ロスアンジェルスはテクノロジーの優位性という点で今後も「中心都市」であり続ける。
しかし、それにも陰りが出てきている。このテクノロジーの優位性は、軍需産業をはじめとするアメリカの戦略的企業に対して、国家が大型プロジェクトを発注することで実現するものである。オバマ政権になってこの大型プロジェクトが「グリーンニューディール」に変わったと言う経緯があるが、このプロジェクト費用を賄う益々巨額になる。貪欲な市場経済が貧富の格差を益々広げ、その対応で国家の対内・対外財務の財源を確保することは難しくなる。
アメリカドルの信用は落ち、経済ではなく政治的な通貨として水準が維持される。経済効率は株価の経済的上昇という手段によって継続的に維持される。
インターネットによるヴァーチャルな企業が発達してくる。現在のところ、これらの企業の殆どはアメリカ企業の植民地状態であるが、いずれ自治権を獲得する。
そして、市場民主主義は経済的成功又は環境効率の向上を意味する単語と同意義ではなくなる。ジャック・アタリ氏は2035年頃と予測しているが、これは金融バブルが崩壊する前に書かれたものであるので、もう少し早いのかも知れない。
2035年以降の中心都市はどこになるか、日本、中国、インド、ロシア、インドネシア、韓国、オーストラリア、カナダ、南アフリカ、ブラジル、メキシコの11カ国を上げているが、どの国のも課題があり「中心都市」になり得るかどうかは予測がつかない。
第4章から第6章は、繁栄の「中心都市」がどこになるかとは関係なく、これからの世界経済の変質を予測している。
それには、3つの波上があると言っている。
第一の波 「超帝国」
現在の市場主義が進展することによって効率化する一方、貧富の差が極大化、サーカス企業(多国籍企業)が国家をも超える存在になる。
サーカス企業では利潤の追求が最優先され、株主からの圧力や競合関係から従業員の賃金が低く抑えられ貧富の差が益々広がる。
第二の波 「超紛争」
極大化した貧富の差が様々な暴力衝突を呼び起こす。また、新たな枠組みでも紛争が起こる。
第三の波 「超民主主義」
2060年頃、紛争多発化の反動で、世界の調和を重視する組織が登場する。最初の頃は市場や民主主義と地球規模で共存するが、次第に市場や民主主義を凌駕するようになる。これを「超民主主義」と呼んでいる。
超民民主主義の担い手を「トラストヒューマン」と読んでいる。トランスヒューマンのトランスとは「超越した」という意味です。トラストヒューマンは利他主義者であり、世界市民です。収益にとらわれない収益が最終目的ではない「調和重視型企業」で活躍している。「調和重視型企業」の最初の例は赤十字、国境なき医師団、海外援助協会、グリーンピース、WWFなどのNGOやNPOである。
私(がまがえる)が、以前ブログで紹介した「戦略的CSR」もそのひとつであるかも知れません。
アタリ氏は、将来的には地域連合ができ、その上に地球規模の制度・機構が創設される。そこでは現在の国連憲章を拡大した地球憲法が制定される、と提唱している。
以上は概要であるが、私の印象では、「超帝国」「超紛争」という波とは係わりなく、「地球環境」というもう一つの波からも「超民主主義」にたどり着くにはないかと思っている。
2008年3月に書いたブログ「豊かさに向かっての経済のデカップリング」でも紹介している。
ところで、ジャック・アタリ氏は日本語版序文で日本に対して「日本は20世紀後半に『中心都市』になれるチャンスがあったのにいまだになりえていない。その理由は以下の3つがある」と看破している。
1. 並は外れた技術的ダイナリズムを持つにもかかわらず既存の産業・不動産からでる超過利得、そして官僚周辺の利益を過剰に保護してきた。また、将来性のある産業、企業収益・機動力・イノベーション、人間工学に関する産業を犠牲にしてきた。
2. 海運業や軍事力など海上での権力があるにもかかわらず、アジアのおいて平和的で信頼感にあふれた、一体感のある友好的な地域を作り出すことができなかった。
3. 港湾や金融市場の開発を怠ってきた。
<読売新聞1月3日号「日本の進路」>
1月3日読売新聞の第一面「日本の進路」ではアタリ氏へのインタビュー記事を掲載している
ここでアタリ氏は、日本は優れた技術力があり、次の課題をクリアすれば「未来は暗くない」と提言をしている。
私たちは、他人からそんなことを言われたくないという狭い気持ちではなく、素直に考え直さなければならないと思います。いや他人だからこそ本当の問題が見えるのかもしれません。
第一は、少子高齢化を乗り切ること
放っておけば、日本の人口は2100年には人口は現在の1/3の4000万人になる。これでは国の活力は萎えてしまう。出生率を上げること、手当だけでは不十分であり住宅、保育施設、産休制度など女性が子どもを産んで育てたくなるような様々な制度が必要である。
また、自分を伸ばす意欲を持つ外国人労働者を受け入れることも必要である。この場合、学歴にこだわるべきでない。
(フランスは、永年このような政策をとって人口が増加している)
第二は、明確な技術革新の政策を持つこと
大企業だけでなく、中小企業も先端技術力を持ついことが必要になる
第三は、金融システムの質を向上させること
負債を減らし、銀行本来の姿にもどすこと
第四は、国の借金を少なくとも半分に減らすこと
新聞紙上では、このことについてのコメントはなかったが「21世紀の歴史」序文方から推測すると、日本特有の「政官財の癒着体制を破壊して、ムダをなくせ」と言っているようである。
これらのことが成された上で、これと並行した形で市民の中から「トラストヒューマン」が生まれ将来的には「超民主主義」に辿りつということであろう。
鳩山内閣の方針は、ほぼこれに沿っているように思えるが曖昧模糊としていて具体的な道筋が分からない。
また、民主党と連立を組んでいる「国民新党」「民主党」は、時々上記の道筋から外れた発言があるように感じる。このようなことで政策がぶれることに対して危惧を抱く。日本の将来に対する明確なビジョンを出してもらいたいですね。
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