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2008.08.31

超資本主義と格差拡大

 最近クリントン政権で労務長官を務めたカルフォルリニア大学のロバート・B・ライシュ教授の「暴走する資本主義」を読んだ。米国でこの本が話題になるのはライシュ氏の経歴からみて、次期大統領選挙で民主党が勝利したとすると民主党の政策のバックボーンになるのではないかという点です。
話の要約をすると以下のようになる。

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 第二次世界大戦後、アメリカの資本主義と民主主義はバランスを保っていたが、1980以降次第に経済のグローバル化やファンド・401Kなど金融商品により、経済的な権力が消費者と投資家へと移っていった。この状態をライシュ教授は「超資本主義」と呼んでいる。
今では、消費者と投資家は、かつてないほど多くの選択肢を持ち、いつでも簡単により良い条件の取引に乗り替えることができるようになった。そして消費者と投資家を振り向かせひきつけておくための企業間の競争もますます激しくなっており、その結果ますます安い商品や、より高い投資収益が提供されるようになった。しかし、超資本主義が勝利すればするほど、それによる影の部分が社会に大きく現れてくる。
例えば、経済成長による収益の大部分が一握りの最富裕層にしか向かわないことによる経済格差の拡大や、雇用不安の増大、地域社会の不安定化や消失、環境悪化、海外における人権侵害、人々の弱みに付け込もうとさまざまな商品やサービスが過剰に氾濫していることなどである。米国は超資本主義にどっぷり入り込んでしまったために、他の先進諸国よりもこれらの事態が深刻だ。しかし、EUや日本など米国に追随する他の先進諸国も、似たような状況に陥り始めている。
 民主主義は、まさにこうした社会問題に対応することのできる最適な方法である。民主主義によって市民の価値観というものが示され、消費者や投資家としての私たちの要望と、全体としてともに達成したい要望との問の調整がなされるはずなのだ。しかし、超資本主義を加速させたのと同じ競争が、政治決定プロセスにまで波及するようになった。大企業はロビイスト、弁護士、広報スペシャリストなどの専門家集団を雇い、また多額の資金を選挙活動に注いでいる。その結果、市民の声や価値観というものはかき消されてしまった。また産業別労働組合、地方の市民団体、「企業ステーツマン」や監督官庁など、類似黄金時代に市民の価値観を示していた旧い体質の組織は、超資本主義の突風に吹き飛ばされてしまった。
 改革派の多くは、超資本主義による不快な副作用から民主主義を守ろうとするのではなく、ある特定の企業の行動を変えることに専念するようになった。倫理感にあふれる企業(CSRに熱心な企業)を讃える一方、社会的に無責任な企業を攻撃する。結果として、企業の行動にはわずかな変化が現れた。しかし、もっと大きな影響として、人々の関心を民主主義を修復する、ということからそらしてしまうという結果をもたらした。

超資本主義のもつ社会的なマイナス面を取り除く方策としては、
・規制緩和や自由貿易の激流に飲み込まれた労働者のための賃金保障や職業訓練とセッとした雇用保険の延長を実施する。
・通商条約の改正によってすべての締結国に、自国民が労働組合を組織することを許容し、平均賃金の半分程度を最低賃金として義務付ける。
・健康保険と雇用を切り離し、税金によって誰もが簡素な健康保険に加入できるようにする。
・より厳しい環境法、より大胆な健康や安全関連の規制、より広範な社会保険。
など数限りなくある。しかし、これらの公共政策はいつも企業のロビー活動によって廃案に追い込まれる。政策を実行する民主主義なくして「何をなすべきか」と問いかけるのは的を射ていない。
「政治の意思決定プロセスを巨大企業から市民に取り戻すこと」である。たとえば、企業献金の規制、ロビー活動の規制などである。
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以上がその要約です。

このことは日本にも同じことがあてはまる。規制緩和は経済活力を保つ上で必要なことであるが、規制緩和の中には格差を増大させるという仕組みが組み込まれている。そのマイナス面を規制する方策を立てずに規制緩和だけを行うと益々荒れた社会になる。
日本の場合、これらの規制緩和の推進と同時に超資本主義のマイナス面を取り除く政策の遂行を阻害しているのは政官財の癒着体質である。この中で、国民が影響を及ぼすことができるのは政治家だけである。次回選挙では、身辺のキレイな政治家、業界団体や組合代表の意向に左右されず社会的正義を持った人を選ぶことが、この問題の一つ解決策なのでしょうか。

ライシュ氏の指摘で、おやともった点は「改革派の多くは、超資本主義による不快な副作用から民主主義を守ろうとするのではなく、CSRに熱心な企業を讃える一方、社会的に無責任な企業を攻撃する。結果として、企業の行動にはわずかな変化が現れた。しかし、もっと大きな影響として、人々の関心を民主主義を修復する、ということからそらしてしまうという結果をもたらした。
と述べている点です。

2006年度マッキンゼー賞を受賞したマイケル・ポーター教授の論文「競争優位のCSR戦略」では、CSR(企業の社会的責任)は、贖罪や保険であってはならない。むしろ、より積極的な態度で臨むことで競争優位の源泉になりうる。数ある社会問題のなかから、企業として取り組むことで大きなインパクトがもたらされるものを選択し、これを踏まえたうえでバリューチェーンと競争環境を改革することによって、企業と社会双方がメリットを享受できる活動を展開する。ネスレ、トヨタ、マイクロソフト、GE、ホールフーズなどは、「受動的CSR」を超えて、「戦略的CSR」を推し進めることで、新たな競争優位を築き、持続的成長への道を拓きつつある。企業は社会とみずからの競争力、両方に貢献するイノベーションをもたらすべき、と説いている。
また、最近は企業とNPOの関係の変化してきた。社会が構造的に複雑化し、利害関係者の価値や物事の価値観が単純に善悪や白黒で判断ができなくなり、企業や企業活動の攻撃や批判ばかりでは問題が解決されないことがNPOも分かってきた。企業もNPOも戦略同盟による問題の根本解決を目指すという道を歩み始めているとも聞いている。
これはこれで、よいことなのでないでしょうか?「泥棒が少なくなったから、泥棒の捕まえ方の技術が発展しない」というようにも聞こえます。

この本を読んでいて、本には触れていないもう一つの気がかりな点がある。

アメリカ国民が喜んでいるかどうかは別にして、規制緩和・超資本主義によってアメリカの経済は長期間に継続的に成長し豊になってきた。
しかし、これは本物だったのかという疑問である。アメリカは世界中から金をかき集め、その金を元にファンドなど金融投資で利益を倍増させてきた。アメリカがなぜそんなことができたかというとドルが基軸通貨であったからだろう。 アメリカは軍備に金をつぎ込み財政は大幅赤字なのだが、金が足りなければドルを印刷し国債を発行してファンドなどを通して日本などの他の国に買ってもらえばよい。アメリカは世界一の軍事大国だからどの国も怖い、アメリカの言うことには逆らえない。日本はいつ紙屑同様になるかもしてないドルの価値を維持するためにドル高・円安介入を続けてきたが、ここにきて、変調の兆しが出てきたようだ。
サブプライムローンの問題も発生した。「テロとの戦い」でアメリカ軍は最強ではないことを証明した。経済的には、EUやBRICsが台頭してきた。
 日本やその他の国は、通過のドル建て政策を捨て、円やユーロに切り替えていったらどうなるのだろうが。 アメリカに金が集まらなくなり、ドルは暴落、ファンドは壊滅的状態になるかも知れない。

これは世界経済にとってかなり危険なことなので、そう言うことが起きる確率は少ないと思いますが、でも、不合理です。アメリカはこのことに対して自ら真剣に取り組まなければ、誰も心底からアメリカを信用しないと思います。

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